昨年の夏以降、世間の関心は米や野菜の価格高騰に集まっている。農産物価格の低迷や生産資材の高騰にあえいできた生産者から見れば、最近の農産物価格の上昇は、積年の課題だった価格転嫁の進展を意味する。生産者の努力が報われる時代がようやく来たと感じている読者も多いかもしれない。しかし、実際には大きな副作用が生じており、本稿では今回の価格高騰こそが直接支払導入の必要性を示していることを明らかにする。
執筆者:作山 巧(明治大学教授)
『季刊地域』2025年62号

作山 巧(さくやま・たくみ)
1965年岩手県生まれ。博士(国際経済学)。専門は貿易政策論。近著は『農政トライアングルの崩壊と官邸主導型農政改革』(農林統計協会、2021年)。
米や野菜の高騰で価格転嫁が実現したが…

図1には、2020年以降の短期的な農業の収益性の動向を示した。農産物価格指数は農産物の販売から得られる収入、生産資材価格指数は農産物の生産に必要なコストを示すことから、前者を後者で割った交易条件指数は、20年を基準とした農業の相対的な収益性を表わす。
最近の傾向としては、生産資材価格指数が21年以降に急激に上昇し、その後も高止まりが続いているのに対して、農産物価格指数の上昇は緩慢だったことから、交易条件指数は22年7月には83.2という歴史的な低水準となった。しかし、農産物価格指数は24年8月以降に上昇に転じ、25年1月には137.6に達したことから、交易条件指数も112.5まで回復した。つまり、交易条件指数は20年よりも高水準で、その右肩上がりの推移からも農業の収益性は改善しつつある。積年の課題だった生産コストの農産物への価格転嫁は、農業全体では実現しつつある。
価格高騰の副作用で輸入が急増
では、農産物価格の上昇は、生産者にとって良いことだらけなのだろうか。この点について、価格高騰が特に話題になったキャベツと米の例で考えてみたい。
まず、キャベツについては、東京都の卸売市場における1kg当たりの価格は、25年1月には322円に達し、前年同月比の4倍以上となった。これを受けてキャベツの輸入量は、25年1月から3月にかけて、前年同月比で40倍を超える高い水準が続いた。キャベツの関税率は、中韓に対しては3%と低率で、ベトナムに対しては無税であることから、国内価格が上昇するとこれらの国々から間髪を入れずに流入する構図となっている。
さらに、米ではより衝撃的な事態が発生した。すなわち、1kg当たり341円という高い関税率を課しているミニマムアクセスの枠外でも、24年度以降は輸入量が急増し、25年度には前年度に比べて約20倍の4万t以上に達する見通しとなっている(日本経済新聞、2025年4月25日)。
これまで主食用の輸入米は、外食産業での国産米へのブレンド用が大半だったが、国産米価格の異常な高騰によって、高関税を払う枠外輸入でも利益が出るようになり、米国産、台湾産、ベトナム産、韓国産といった多様な主食用米が単体で消費者に売られるようになった。これによって、輸入米を消費者の目に触れないようにしてきた農水省の努力は水泡に帰した。農水省が、それまで及び腰だった備蓄米の放出に踏み切ったのも、こうした米輸入の急増と無縁ではないだろう。
価格転嫁に必要な二つの条件

結局のところ、今回の農産物価格の上昇がもたらしたのは、消費者・実需者の理解に基づく円満な価格転嫁や国産品の購入ではなく、高価格に対する怨嗟の声と安い輸入品へのシフトだった。これは当然で、そもそも価格転嫁の実現には、①消費者の所得向上、②輸入制限の存在、が前提となる。右記のように、農業の収益性を表わす交易条件指数は、農産物価格が上がれば上昇する一方で、生産資材価格が上がれば低下する。つまり、「交易条件指数の変化率≒農産物価格指数の変化率−生産資材価格指数の変化率」という関係が成立し、それを10年間の年代ごとに示したのが図2である。
これによれば、農産物価格の上昇率が生産資材価格の上昇率を上回って農業の収益性が大きく改善したのは1960年代だけだった。この期間は、高度経済成長による消費者の所得向上と広範な輸入制限の存在という二つの前提条件が満たされていた。言い換えると、これらの前提条件が満たされない現状で、国産品の価格が高騰すれば輸入品に置き換わるのは火を見るより明らかだった。また、いったん輸入品が定着すれば、国産品がシェアを奪還するのは容易でない。
貿易自由化のもとでは価格転嫁できない
今回の教訓は、「貿易自由化と価格転嫁は両立しない」という不都合な真実である。例えば、米価格の高騰に対して、「ようやく30年前の水準に戻っただけで、生産コストと比べて決して高くない」という主張もある。その心情はよくわかるが、30年前は米輸入が事実上禁止で、国内価格が高騰しても輸入が増える余地はなかった。しかし、1995年度からミニマムアクセスを受け入れ、99年度にはそれを超える輸入に対する数量制限も撤廃したことから、国内価格の高騰時に輸入を抑制する手段はない。
また、今回の米価格の高騰は、トランプ大統領による追加関税の発動と重なったため、「米国からの米輸入は米不足の解消と追加関税の撤回で一石二鳥」という安易な主張にお墨付きを与えた点でも失敗だった。
特に、キャベツのような青果物では関税はほぼないに等しいため、国産の価格が上昇すると輸入が増加し、長期的な国産の価格は中国産やベトナム産の水準に収斂する。つまり、関税の撤廃は価格転嫁を永久に放棄することを意味し、累次の貿易協定の締結で自由化を進めておきながら、一転して価格転嫁を喧伝するのは矛盾であり偽善に他ならない。
直接支払は生産者・消費者両方にメリット
関税の撤廃や削減が進展した現状で農業の収益性を改善するには、①生産コストの削減、②輸入品との品質面での差別化、③生産者への直接支払、のいずれかしかない。このうち本稿では、③を主食用米に導入した場合の効果を試算する。特に、価格転嫁は生産者と消費者の対立を生むのに対して、生産者への直接支払は、その利益の一部が価格低下を通じて消費者に帰属するため、生産者と消費者の両方にメリットがあることを示す。

▼試算の前提
本稿の試算では、2024年秋以降の米価高騰の影響を回避するために、23年産の主食用米に対して直接支払を実施した場合の生産者価格と卸売価格の変化を試算した。その前提となる初期値は次の通りである。
まず、23年産の主食用米の生産者価格は1万2663円/60kgなのに対して、卸売価格は流通経費を上乗せした1万5314円/60kgである。また、主食用米の作付面積は124・2万haで、平均単収は533kg/10aとした。
さらに、やや技術的になるが、価格が1%変化した場合の供給量の変化を表わす供給の価格弾性値を0.4405、価格が1%変化した場合の需要量の変化を表わす需要の価格弾性値をマイナス0.2899とした。これらの数値から、生産者に対して直接支払を実施すると、その約4割は生産者の利益となる一方で、残りの約6割は価格低下を通じて消費者の利益になることがわかる。
なお、今回の試算では、転作に関して次のような仮定を置いた。すなわち、試算の起点とした23年産の主食用米の生産者価格である1万2663円/60kgは、転作助成金で水田の約3割を非主食用米に転換することで人為的に引き上げられたものである。しかし、転作を全廃した場合の価格は得られないことから、本稿では現行の転作助成金を維持したうえで、右表に示した追加的な直接支払の支給額を1000億円増加するごとに、転作作物からの転換によって主食用米の作付面積が3%ずつ増加すると仮定した。また、直接支払はかつての戸別所得補償と同じ面積払いとするが、それを平均単収で割って数量払いに変換した。
▼支給額を変えて試算すると…
表に、直接支払の支給額を1000億円ずつ増加した場合の効果を示した。具体的には、支給額1を作付面積2で割って10a当たり単価3を算出し、平均単収を用いて60kg当たり単価4に換算したうえで、既述の生産者と消費者への配分割合を用いて、直接支払を反映した生産者価格5と卸売価格6を算出した。
これによれば、約3000億円の支給額で、流通経費が消滅して生産者価格と卸売価格がほぼ同額となる。また、支給額が1兆円では、23年産に比べて生産者価格は21%上昇して同年産の平均生産費(1万5944円/60kg)をほぼカバーする一方で、卸売価格は27%低下する。
このように、直接支払で生産者価格は上昇し、卸売価格やひいては消費者価格は低下するため、生産者と消費者の両方にメリットがある。さらに、所得税のように累進性のある税を財源にすれば、格差の是正にも寄与する。
今こそ導入の好機
生産者がより高い価格での農産物の販売で収益を得たいと思うのは当然で、それがかなうに越したことはない。しかし、消費者の所得向上と輸入制限という価格転嫁の前提条件が失われた現状では、価格の上昇は売り上げの減少や輸入の増加をもたらす。農産物価格の高騰で価格転嫁の限界が明らかになった今こそ、直接支払導入の好機ではないか。