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【唄は農につれ農は唄につれ 第26回】ベトナム戦争を終結させた「子牛の悲歌」――ジョーン・バエズ「ドナドナ」

『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではそれをまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。

前田和男(ノンフィクション作家)

●世界史を変えた「子牛の歌」

 洋の東西を問わず、古来、人の暮らしを支えてきた二大「役畜」は馬と牛であり、それゆえ人間たちの歌のテーマにもなってきた。前回は馬と人間との関係を歌からひも解いたが、今回は牛と歌の相関について検証を試みる。

 調べてみると、牛をテーマにした歌は馬に比べるとはるかに少ない。ちなみに馬は人への貢献度で軍事、運搬、農耕、厩肥、食肉、さらには競馬によるエンターテインメントの提供……と多様かつ多岐にわたり、その動きも軽快で俊敏なため、軍歌や流行歌などの題材にされてきたと思われる(連載23~25回参照)

 いっぽう牛はというと、人への貢献では食肉、農耕、厩肥、酪農に限られているうえ、馬に比べて地味で鈍重なイメージから、歌にはなりにくいのかもしれない。

 しかし、数は少ないながらも、インパクトではどっこい馬を凌駕・圧倒した歌がある。

 しばしば「歌は世につれ、世は歌につれ」といわれる。たしかに前段はそうかもしれないが、後段の「世の中が歌につれて変わる」ことはそうはない。あったとしても、そのほとんどは「流行り歌」から現実の風俗やファッションが生まれる程度の話であって、「歴史を変える歌」などめったにない。

 そのめったいない「世界史を変えた牛をテーマにした歌」がある。その歌とはジョーン・バエズの「ドナドナ」(Donna Donna)。そしてそれが変えた「世界史的出来事」とは「ベトナム戦争の結着」である。

ドナドナ
ジョーン・バエズ「ドンナドンナ(ドナドナ)」(キング)

●イディッシュ語の劇中歌をフォークの歌姫がカバー

 まずは、「ドナドナ」の歌詞から検証しよう。

 オリジナルは、1940~41年にかけてアメリカで上演された、ユダヤ人女性とポーランド王とのラブロマンスを題材にしたミュージカルの劇中歌である(作曲はウクライナ出身のユダヤ系アメリカ人ショロム・セクンダ、作詞はベラルーシ出身で同じくユダヤ系アメリカ人アーロン・ゼイトリン)。このミュージカルはイディッシュ語(東欧のユダヤ人の間で話されていたドイツ語に近い生活言語)で演じられたため、劇中歌もユダヤ系の仲間内の受容と評価にとどまっていた。

 それから20年後の1960年10月、フォークソングの歌姫として世界の若者たちを魅了していたジョーン・バエズが英語でカバーして切々と歌い上げたことで、世界中に共感を呼び、今も歌いつがれている。

 以下にバエズによる英語バージョンを逐語訳でかかげる。

♪馬車が市場へ向かう 悲しげな眼をした子牛をのせて
 空にはツバメが颯爽と飛んでいる
 風が笑ってる 声のかぎり楽しげに
 笑って 笑って 笑って 一日中 夏の夜半まで
 ドナ ドナ ドナ ドナ

♪農夫は言う 愚痴はよせ
 しょせん子牛は子牛なんて誰が言った
 あの誇らしげで自由なツバメのように
 なぜお前は翼をつけて空を飛ばないんだ?
 ドナ ドナ ドナ ドナ

♪子牛たちは言われるがままに運ばれて屠られる
 その理由を知ることもなく
 自由を望むものならだれだって
 ツバメのように飛び方を学ぶのに
 風が笑ってる 声のかぎり楽しげに
 ドナ ドナ ドナ ドナ

 歌詞からは、往時ユダヤ人をおそったホロコーストへの寓意がこめられているように思われるが、じつはそうではない。オリジナルはあくまでもユダヤの人々に語りつがれてきた歴史伝承に題材をとったもので、子牛をモチーフにしたこの歌が「弱者は抹殺される」という寓意をもって世界中の人々の心をゆさぶったのは、反戦フォークの歌姫がカバーしたからだった。

●当初は脇役フォークだった

 では、この歌が世界史をどう変えたのかへと検証を進めよう。

 1965年、アメリカの一方的な北爆で始まったベトナム戦争は、当初の大方の予想を大きく裏切り泥沼化して10年も続き、世界最強国の全面的な敗北で終わった。その歴史的結着をもたらした最大の理由は、アメリカ国内の反戦世論の盛り上がりであり、それをチアアップしたのは若者たちが愛唱した反戦歌だったと言われてきた。

 ここまでは大方の識者の認めるところだが、問題はその先である。

 反戦世論を盛り上げた主役は、アメリカンフォークの父、ピート・シーガ―が作詞作曲し、PPM(ピーター・ポール&マリー)やジョーン・バエズらがカバーした「花はどこへ行った」Where have all the flowers gone?と「ウィ・シャル・オーバーカム」We Shall Overcome、ボブ・ディランの「風に吹かれて」Blowin’ in the Windで、「ドナドナ」はそれらを裏で支える脇役にすぎない。と、同時代者であった筆者も、迂闊かつ不覚にもこれまでそう思ってきた。ところが、今回検証してみると、むしろ逆で、「ドナドナ」こそが主役であったことに気づかされたのだった。

 わが逆転の推論は以下のとおりである。

 たしかに上記3曲の反戦フォークは、アメリカのみならず世界の世論を大いに喚起してアメリカ政府を追いつめた。

 そもそも「風に吹かれて」も「ウイ・シャル・オーバーカム」も「花はどこへ行った」も、60年代の公民権運動の賛歌(アンセム)という誇らしい物語を共有している。63年8月28日の「ワシントン大行進」のスタートとなったリンカーン記念堂の階段では、ボブ・ディランが「風に吹かれて」を、PPMが「花はどこへ行った」を歌たったのを受けて、キング牧師が登壇して「I Have a Dream」で始まる歴史的演説を行ない、その後ジョーン・バエズが「ウイ・シャル・オーバーカム」を歌ってデモ隊を先導した。

 こうした共通のビッグストーリーをもつ3曲は、その後のベトナム反戦運動の賛歌として引き継がれ、デモや集会だけでなく、ラジオ・テレビでも流され、アメリカ全土で反戦シンボルソングになっていく。

米国のベトナム反戦運動(1967年、ウィキペディアより)
米国のベトナム反戦運動(1967年、ウィキペディアより)

●兵役拒否運動がベトナム和平をもたらした

 しかし、おそらくこの反戦フォーク3曲を主役にした世論の盛り上がりだけでは、ベトナム和平は成就しなかったろう。

 最終的にアメリカに戦争を断念させたのは、厭戦気分の国民的蔓延と、それにとどめをさした若者たちの兵役拒否運動だった。

 ベトナムの内戦に介入した当初のアメリカはいまだ徴兵制下にあった。それは、「くじ引き」→「通知から数週間で出頭」→「拒否すれば逮捕」というロシアンルーレットにも似た恐怖の制度だった。戦争が泥沼化し、多くの同世代が死体となり、あるいはPTSD疾患者となって帰還する修羅が報じられるにつれ、「ドナドナ」で歌われる「市場へ連れていかれる子牛」が「ある日突然、死の戦場へ送られるわが身」 と重なったことは想像にかたくない。

 そして、大きな反戦デモで歌われる「風に吹かれて」や「ウィ・シャル・オーバーカム」や「花はどこへ行った」がどこか「きれいごと」に思え、むしろ「ドナドナ」が自分たちの心情にしみいる歌として、学生寮やサークル活動などの小さいが身近なコミュニティで受容されていったものと思われる。

 かくしてベトナム反戦運動を支える歌たちの主役と脇役が逆転交代し、60年代後半から、ベトナム戦争へ徴兵される若者たちによる兵役拒否が起きる。

 当初、兵役拒否者には「臆病者」呼ばわりする声が起きたが、やがて彼らは「臆病者」どころか「勇者」として評価されるようになり、全国の大学のキャンパスでは徴兵カードを焼き捨てる「反戦の意思表示儀式」が頻発する。徴兵拒否者の数は(松岡完『ベトナム症候群』〈中公新書〉によると)総計でじつに57万人にも上った。兵士の戦線からの離脱も相次いだ。兵役拒否と最前線の兵士たちの逃亡は、ついにアメリカ政府の戦意をも喪失させる。

 73年1月、アメリカは和平協定を締結してベトナムから撤退。第二次世界大戦の100万人超に迫る80万人を超える死傷者を出して多くの若者を苦しめ家族を悲しませた徴兵制は廃止される。

 若者たちを兵役拒否へといざない、それを多くのアメリカ国民が支持して戦争終結に至らしめた影のインフルエンサーこそ、ジョーン・バエズが「屠られることを知らない子牛」をモチーフに切々と歌い上げた「ドナドナ」だったのである。

●米兵の兵役拒否の火元は日本!?

 いっぽうわが日本ではどうだったか。

 「ドナドナ」が生まれ育ったアメリカとは、受容のされ方がまったく異なっていた。

 「ドナドナ」が日本で広く知られるようになったのは、バエズがカバーして5年後の65年、ザ・ピーナッツが日本語で歌い、翌66年にNHK「みんなのうた」によって全国的に定着をみる。

 訳詞者は安井かずみだが、ジョーン・バエズがこの歌に託した「弱者は抹殺される」という寓意は消し去られた。ちなみにバエズの「ドナドナ」の

♪Calves are easily bound and slaughtered (子牛たちは言われるがままに運ばれて屠られる)

は、安井かずみ訳では、以下のようにマイルド化かつ曖昧化されている。

♪何も知らない子牛にさえ 売られていくのがわかるのだろうか

♪悲しみをたたえ はかない命

 それもあって、小中学校の音楽教科書にも掲載され、アメリカのように厭戦フォークとして歌われることはなかった。

 ただし、皮肉なことに、じつはアメリカ兵による兵役拒否のきっかけをつくったのは、日本だった。67年、ベトナム戦争のただなかのことだ。北ベトナムへの爆撃機を搭載したアメリカの空母「イントレピッド」が横須賀に寄港。一時下船した4人の水兵が戦闘を拒否して脱走。日本で支援組織「イントレピッド4人の会」が結成され、当時脱走兵を受け入れていたスウェーデンへと逃亡させる。

 その支援組織を中心で担ったのは「べ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)だったが、彼らはかねてから本場アメリカのように歌で反戦運動を盛り上げようと企図、全国の主要都市の公共空間で「フォークゲリラ」と呼ばれるアドホックイベントを開催。69年6月28日には新宿西口広場に7000人の合唱がこだまし、往時の反戦運動を大いに盛り上げた。だが、そこで歌われたのは「ウィ・シャル・オーバーカム」や岡林信康の「友よ」などのプロテスト系フォークで、筆者の体験的記憶と往時の参加者の回想録にあたった限りでは「ドナドナ」が歌われることはなかった。

ベトナムに平和を!市民連合の反戦デモ(1967年、ウィキペディアより)
ベトナムに平和を!市民連合の反戦デモ(1967年、ウィキペディアより)

●日本の反戦運動は「対岸の家事」の応援団だった

 今から振り返ると、筆者もふくめて、当時の日本の怒れる若者たちにとって、「ドナドナ」が脱走兵たちの心情とシンクロしているという理解はなく、暗くて気勢が上がらないので集会で歌う気にはなれなかった。裏を返せば、日本の反戦運動は所詮は対岸の火事の応援団にすぎなかったのである。

 それは、はからずもその後の日米の社会運動の行く先とありようを示していた。

 アメリカではベトナム戦争を終わらせた後、フェミニズムや性的マイノリティなど新たなダイバーシティ活動が次々と生み出されて、社会運動の歴史的かつ国際的な実験場になっていくが、日本はというと、若者たちの政治の季節はあっというまに終わりを告げ、70年代にはユーミンの「『いちご白書』をもう一度」の

♪もう若くはないさと 君に言い訳したね

の歌詞よろしく、かつての怒れる若者たちの多くは、髭をそり、長い髪を短く整えて、企業戦士となり、おりしもベトナム特需で生まれた上昇気流に乗ってバブルへと向かう経済成長を支えていく。

 その先に待ち受けていたのは、24時間働き続けた果ての過労死の続発。彼らもまた「屠られるとは知らずに唯々諾々と市場に運ばれていく子牛」だった。

 その意味では、「ドナドナ」は日本の行く末を暗示した予言の歌でもあった。


著者:前田 和男(ノンフィクション作家)

1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『冤罪を晴らす 食肉界の異端児の激闘20 年』(ビジネス社)、『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。

*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌ではその内容を一部要約してお届けします。


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