いまこそ農村力発電

2011年9月30日発売 定価926円(税込)

[巻頭言] 原発から農発へ

長谷緒井路発電所(大分県)の神棚

長谷緒井路発電所(大分県)の神棚
(写真=尾崎たまき)

 大分、宮崎の3土地改良区4カ所の発電所を訪ねたとき、この農家、農村の力による発電は、つくづく原発とは真逆の思想にもとづくものだと思い知らされた。

 原発の寿命は当初30年と設計されていたが、経済性を重視した延長を重ねるうち福島第一原発の事故は起きた。また、事故が起きなくても、すべての原発は廃棄物、使用済み核燃料、廃炉の問題などことごとく先送りにして運転されており、たかだか1、2世代の経済的繁栄のツケは、未来永劫子々孫々に回される。

 3土地改良区の発電所は、江戸末期~昭和初期の先駆者たちがひたすら地域と子孫の繁栄を願って開削した農業用水路を生かしたもので、私財を投じた先駆者のなかには困窮の果てに故郷を離れた一族もいるという。しかし、その水路を生かした発電のおかげで、現代を生きる子孫が「減反の 余水生かさむ 発電の 夢の叶いて 賦課金下がる」と歌碑に刻むような恩恵を享受している(42ページ)。

 原発と農家・農村力発電が真逆であるのはそれだけではない。原発のエネルギー源は地球上の特定地域に偏在する有限かつ希少資源のウランだが、農家・農村力発電のエネルギー源は普遍的に存在する無限かつ希薄資源の「雨」である。「雨は地上に降ると、地形のひだに集まり、せせらぎとなる。小さなせせらぎは沢となり、沢が集まり渓谷となり、渓谷が集まり川となる。単位面積当りのエネルギーが薄い雨粒が、地形と重力によってしだいに集積され、濃いエネルギーとなっていく」(1)。「雨」という希薄資源の「地形と重力による集積」を、人の力が助けるのが農業用水であり、それは農業の本質にもかかわることだ。「『農業とは生きものの力を借りて、再生可能な地球上の希薄資源を集め利用する営みである』、この点が居座りで有限の資源を使っている工業との基本的なちがいなのです」(2)。この農家・農村力を、これからの再生可能エネルギーへの転換に、生かしたい。

──編集部


参考文献
(1)小水力利用推進協議会編・オーム社刊『小水力エネルギー読本』
(2)西尾敏彦著・農文協刊「自然の中の人間シリーズ」〔農業と人間編〕【1】
『農業は生きている――三つの本質』

 

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