このコーナーは、「ゆるがぬ暮らし」「ゆるがぬ地域」づくりに取り組む、全国各地の耳寄りな情報です。webではその中のむら・まち元気便から“ちょっとだけ”公開します。

評判の竹製捕獲オリ
「前だけ竹」でもイノシシ捕れた

編集部


「前だけ竹」オリ

岡山から
 1人乗りモノレール「ムーチェ」(37ページ)の取材で、岡山市の中西厚さんのお宅にお邪魔したときのこと。中西さんが「『現代農業』を参考にして竹のオリもつくったんですよ」と言いながら見せてくれた写真にビックリ! 
 本誌15号のこのコーナーでも「竹製なら油断してイノシシがよく入る」と竹オリを紹介したことがある。中西さんの竹オリはそれと一見同じなのだが、四面あるうちの前面だけが竹製で、あとの両サイドと背面は鉄製のフェンスでできているのだ。
 こんなのでイノシシが騙せるのか!?と思いきや「つくってすぐ大きいのが2頭。今年の夏にはウリ坊が4頭も捕れたんですよ」と成績も上々のよう。ちなみに近くに置いた市販の鉄製オリでは1頭しか捕れなかったという。
 中西さんがイノシシ害に悩まされて、友人と2人でオリをつくったのは去年の秋。当初は全面竹でつくる予定だったが、荒れた竹林に入り竹を切り出すのはかなり大変だった。そんなとき、近くの団地で捨てられそうになっているフェンスをタダでゲットできたので、試しに使ってみたらうまくいった、ということのようだ。
 設置箇所は山の中にあるクリ畑。サイズは縦1.3m、横1.2m、奥行きが1.9mで、フェンスの下はイノシシにひっくり返されないよう土に埋めてある。また強度が心配だったので、ワイヤーメッシュで内側を補強した。扉が落ちる仕掛けづくりに苦労して、製作には約2週間かかったが、費用は番線などの購入費数千円で済んだ。
「イノシシは繁殖力が強いから地域の人たちとも協力して、どんどん捕らないと」と意気込む中西さんであった。

地域の結束力が自慢
集落総出でイノシシ捕獲

加藤 友


捕獲したイノシシは協議会で
購入した専用トレイに入れて運ぶ

愛媛から
 瀬戸内海に浮かぶ松山市・忽那諸島はミカンの島として知られていますが、イノシシ害でも有名。7つの島全体で合わせるとイノシシ捕獲数は年間1000頭以上にもなります。7つのうち最も大きな「中島」では、猟友会を頂点に、農家主体の「イノシシ対策協議会」なるものが組織され、対策を行なっています。
 実際の活動は11ある集落単位ですが、特に組織がしっかりしているのが農家戸数85戸ほどの大浦地区。昨年の捕獲頭数は119頭と、3年連続で中島一多い数字です。そんな大浦地区の自慢は地域の結束力。地区総代さんを筆頭に、ワナや猟銃の免許を持つ農家だけでなく、普通の農家や勤め人も、「見回り隊」として活躍しています。
「大浦猪対策部会」88人のうち、見回り隊は77人。4〜5人ずつの班に分かれており、日替わりで当番になります。朝、班員のうち2人が一緒にワナを見に行き、途中イノシシがかかっているのを発見したら、すぐさま班長に報告。班長は猟銃の免許を持つ幹部と一緒に現場へ急行し、みんなで力を合わせてイノシシを処理します。ワナは13人のワナ免許をもつ農家が100カ所以上に仕掛けており、山奥など入りづらいところ以外を見回り隊が担当。くくりワナの自作、修理も自分たちでできる組織に成長したそうです。
 中島のイノシシ対策協議会では、獣害駆除で得た報奨金をもとに、行政の協力を得て、一番困っていた捕獲後のイノシシを焼却処分する体制もできあがったとのこと。島ならではの地域の結束力が、地域のイノシシ害を少しでも減らしていることは間違いありません。

口蹄疫後、空き牛舎が使える
サフラン栽培を広めたい

中村幸真


屋内で育つサフラン。国内自給率は5%で需要はある

宮崎から
 2010年の口蹄疫で大変な思いをした都農町で、「サフラン」の特産化を目指す町議で元土建会社社長の黒木幸範さん。口蹄疫で畜産再開を断念する高齢農家を見て、何か自分にできないかと考えついたのがサフラン栽培でした。
 サフランはアヤメ科の多年草。花のめしべを乾燥させ、スパイスや漢方薬に使います。国内では都農町の隣の大分県竹田市など一部地域で栽培されています。
 黒木さんは日光を避け屋内で開花させる「竹田方式」の栽培を知り、「これなら使わなくなった牛舎を活用できて、農家の仕事づくりにもなる」とワラにもすがる思いで視察を申し出たそうです。産地技術は秘密!と断られることも覚悟しましたが、先方も「サフラン栽培は地元ではすっかり下火。このまま消えてしまうのは惜しいから」と快諾してくれました。
 2012年に、使っていなかった倉庫を自分で目張りして栽培を開始した黒木さん。12月頃、イネ刈り後の水田に球根を植え付けると、翌年の4月半ばには分けつして増えるので、また掘り起こしました。9月にトレイに並べて室内に移し、あとは10月下旬の開花を待ちます。めしべを摘んだ後の球根も数年は繰り返し使えます。
 全般に軽作業ですし、球根5万個を栽培する黒木さんも作業日数はのべ30日ほど。収量は乾燥重量で約1㎏。出荷はJAで1g700〜800円と、結構いいおこづかいにもなります。いまはまだ黒木さんが栽培しているだけですが、「都農には海も山もワインもある。サフラン農家を増やして全部地元産のパエリアを特産にしたい」と熱い思いを語ってくれました。

いぶりがっこの「金」を決める
真冬の祭典「いぶりんピック」

森 潤一


昨年度のクラシカル部門受賞者。
金樽は81歳で最年長の中村勇一さん(中央)

秋田から
 横手市山内地域では、伝統食であり名産品でもあるいぶりがっこ(燻製たくあん漬け)のPRイベントとして「いぶりんピック」を毎年2月に開催しています。主催は「山内いぶりがっこ生産者の会」(会員19人)。ネーミングはユーモアたっぷりの祭典ですが、中身は真剣そのものです。
 2007年の開始以来、毎年50〜80代の地元農家約20人がエントリー。栄えある「金」を決める「クラシカル部門」へ出場できるのは販売用のいぶりがっこを無添加でつくる農家のみ。審査員は横手市長、地元の道の駅や温泉レストランの料理長、飲食店など8人。「食味・見た目・歯応え」から採点して、上位3人を決めます。
 参加選手によってダイコンの品種や、煙材の樹種、燻し加減、燻す場所、こうじの発酵具合など様々。薬木のキハダで色をつけたり、砂糖の代わりに甘酒やハチミツで漬け込むなど、それぞれに研究を重ねてきた工夫で腕をふるいます。
 賞品はオリンピックメダルならぬ漬物樽(秋田杉使用)。優秀な順から「金樽」「銀樽」「銅樽」があり、出場者のなかには何度も挑戦し見事金樽に輝いた人もいます。
 生産者の会では、第1回の金樽受賞者・三又旬菜グループ代表の高橋篤子さんのレシピを使って「本格いぶりがっこ金樽」を商品化。地元の物産館や都内のスーパーで販売中です。
 最近ではいぶりがっこ農家の後継者不足解消を目的に、出場資格を甘くした「フリースタイル部門」を設けたこともあるそうです。

山内地域局山内地域課
☎0182‐53‐2934

学校のケヤキをPTAが伐採
60万円出費のはずが3万円プラス

上原野亜


切り出したケヤキ

宮崎から
 小林市立西小林中学校(生徒数92人)の校門前にあった3本の大きなケヤキ。落ち葉掃除の手間や日当たりの問題があり、学校とPTAで相談した結果、伐採することになりました。普通は業者に頼んで切ってもらうところですが、毎年9月中旬の運動会に向けて、校庭の清掃や草刈り、背の低い木の枝を刈り揃えたりする作業をPTAでやっていたので、今回も自分たちでやることにしました。
 伐採したのは5月。当日はPTA役員や教員など10人以上が集まりました。PTAのメンバーには造園業や建設業の人がいたので、クレーン車やグラップル付きバックホーなど大型機械が続々登場。2台あるクレーン車のうち1台で枝を吊り、もう1台は先端にゴンドラを取り付けてチェンソーを持った作業者を乗せ、上の枝から順に切っていきました。切り出した原木はトラックでチップ工場へ運び、合計3万円で買い取ってもらったそうです。
 じつはこの伐採作業、学校から業者に頼むと50万〜60万円かかるそうです。ところがPTAの方々はボランティアで作業しただけでなく、売り上げの3万円を学校に寄付してくれたとのこと。
 もともと西小林は地域の人を先生に招いて歴史や郷土を学ぶ「コミュニティスクール」にも市内で一番積極的に取り組んでいたり、卒業生や元保護者などがPTA準会員として学校の活動に参加したりと、地域で学校を支える意識の強いところ。
 今回も「自分たちでできることは自分たちでする!」と、みんな喜んで手伝ってくれて、本当に温かい実践となったようです。

小林市立西小林中学校
☎0984‐27‐1612

商店街と団地を結ぶ
1回150円の乗合タクシー

編集部

枝光本町商店街でお客を乗せる
「枝光やまさか乗合タクシー」

福岡から
 旧八幡市(現在の北九州市八幡東区)で1950年に創業した㈱光タクシーは、2000年より高台の団地と地元の枝光本町商店街を結ぶ「枝光やまさか乗合タクシー」を運行しています。
 団地に張り巡らされた5つのルートを、9〜18時ごろまで、12人乗りのジャンボタクシー2台で巡回。各ルート15〜20分の狭い範囲なので、バス停には20〜30分おきに乗合タクシーがやってきます。運賃はどこまで乗っても150円。1日200〜300人が利用する「むらの足」です。
 八幡東区はかつて八幡製鐵所に通う労働者で栄えた町でしたが、工場の閉鎖後若い世代は都市部へ流出し、団地は高齢化。道も狭く坂もキツイので普通の路線バスは通行できず、乗合タクシー運行前は、買い物や通院に困っていました。また、商店街も徐々に活気を失っていました。
 光タクシーの石橋孝三社長は、「商店街がなくなれば、会社も存続できない」と乗合タクシーの運行を決意したのです。
 運行開始から早15年。商店街には今も八百屋や鮮魚店、精肉店、薬局など約70店が軒を連ねます。2006年には近くに大手のショッピングセンターができましたが、「もともと商店街を守るのが目的。いつ撤退するわからない大手企業より地元の商店街を大事にしたい」とそちらには行きません。
 経営は大変ですが、運賃のほかに、団地の自治会や商店街からの協賛金年間約40万円と、車両更新費として5年に1度市から助成してもらう300万円にも助けられて事業を継続しています。

㈱光タクシー
☎093‐661‐5185

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