このコーナーは、「ゆるがぬ暮らし」「ゆるがぬ地域」づくりに取り組む、全国各地の耳寄りな情報です。

町の広報をデータベース化

編集部


高千穂町アーカイブスのウェブサイト

宮崎から
 高千穂町では、1962年の第1号から最新号まで約700号分の広報をデータベース化した。「町の歴史が詰まった広報を地域の資源として活用できるようになった」と甲斐宗之町長。年代やキーワードから、過去に発行された号の読みたい記事を検索できる。「高千穂町アーカイブス」として、2020年10月からインターネット上で一般公開している。

集落に人を呼ぶ「ころがし」の灯籠

甲斐弘毅


ころがしの灯籠。萬燈祭は毎年9月16日に開催

石川から
 志賀町の長田集落は13戸27人の集落です。神輿の担ぎ手不足で秋祭りができなくなった代わりに、2008年から竹灯籠を並べた「萬燈祭」を毎年9月に開催しています。年々数を増やし、15年には名前通り1万本を達成しました。
 この集落に住む中西光路さん(65歳)は、19年の祭りが終わった後に昔の農具「ころがし」を灯籠にすることを思いつきました。それはイネの苗を手植えするとき等間隔になるよう、田の中を転がしてマス目をつけるのに使った木の枠です。
 田植え機が普及して出番がなくなったころがしは、蔵の中で眠っていたり、焼却処分されるだけ。中西さんは「使えるものは再利用したい」と、町の広報でも呼びかけてころがしを集め、和紙を貼って灯籠につくり変えました。
 出来上がった灯籠は152本。神社に続く農道の両側に柱のように立てて並べました。高さは大きいもので9尺(約2m70㎝)もあり、中にロウソクを2〜4本立てました。残念なことに、20年の萬燈祭はコロナ禍の下での開催となりました。そのため宣伝を一切しなかったものの、1000人ほどが訪れたそうです。
 中西さんは「ころがしは先祖が大事に使ってきた田んぼの道具。祭りの道具になって先祖も喜んでいると思う」と言っていました。

バス停が遠かった人も便利、二川デマンド交通

細田実生


送迎時の様子。利用者は前日までに電話予約する

岡山から
 真庭市二川地区には「二川デマンド交通」というむらの足があります。教えてくれたのは二川地域づくり委員会会長の遠藤正明さん(80歳)です。
 二川地区には決まった路線を走るコミュニティバスがあったのですが、「バス停が遠くて不便」という声もあり、代わりに利用者の予約に応じて乗り合いの車を走らせる「二川デマンド交通協議会」を委員会の中に組織しました。
 市が協議会に運行を委託する形で、2020年6月にスタート。運行日は月・水・金の週3日で、予約があれば午前と午後にそれぞれ1回ずつ地区と市街地を往復します。料金は一律で大人200円、子供100円。
 利用者の家まで迎えに来てくれて、病院に行くときは、病院側が帰りの便の時間に合わせて診療が終わるよう調整してくれるそうです。
 運転手は住民有志12人でローテーション。75歳までの人で、第二種免許は免除されますが、国が定めた安全講習を受講する決まりです。運転手の日当8000円のほか、乗用車2台分の維持管理費等の経費は「委託費」として市が補填します。
 現在の利用者は1カ月にのべ70人ほど。利用者がいなかった日はないそうで、これを機に免許返納した人もいます。

集落を盛り上げる女性グループ

江崎嵩弘


18年の里山ウォーキングの様子。
20年は新型コロナの影響で中止

栃木から
 那須塩原市金沢地区にある34戸100人ほどの金沢中集落。この集落の女性たちで構成された「金沢中老若ひめ隊」がおもしろい活動をしています。地区の婦人会が解散したことを受け、住民交流の機会をつくろうと、2008年に発足しました。自治会費などで活動するボランティア組織で、メンバーは32人です。
 活動は多岐にわたります。懇親会を開催したり、郷土料理の「のっぺい汁」を広めたり、東日本大震災のときはソーラーライトを道に300本設置して鎮魂の祈りを捧げたそうです。集落の環境美化活動にも積極的に取り組み、河川敷の草刈りなどを担っています。
 集落内の交流促進だけでなく、集落外への魅力発信にも力を入れています。18年には秋に「里山ウォーキング」というイベントを企画しました。市のホームページで宣伝して集まった66人の参加者と、集落の名所や特産品のキウイ畑などを巡る約5㎞のコースを散策しました。ゴール地点でふるまったのっぺい汁も好評でした。
 19年も開催し、62人が参加しました。「リピーターの参加もあって、集落のファンが増えている」と、会長の木沢裕子さん(70歳)。
 集落には隊の活動を楽しみにしているお年寄りもたくさんいます。女性のパワーで集落を盛り上げる大切な組織だと思いました。

98歳のばあちゃんに習った「おえ草履」

板垣紫乃


おえ草履

山形から
 新庄市で開催されたマルシェで素敵な人に会いました。鶴岡市三瀬で「おえ草履」をつくっている成瀬正憲さん(40歳)です。この草履は、同市旧朝日村に住む渡部志げさん(98歳)につくり方を習ったそうです。
「おえ」とは、カヤツリグサ科フトイの地方名。湿地や浅い沼などに群落をつくる多年草で、日本全国に分布します。
 ムシロや畳表の素材になることはあっても、草履に利用されるのはまれだそうです。渡部さんの住む集落では、イナワラよりも入手しやすかったフトイを使って草履が編まれてきました。成瀬さんいわく「フトイはイナワラより太く、丈夫で毛羽立たないから草履を編むのに適している」とのこと。
 湿地に自生しているものを、7月20日頃に刈り取り、天日で干して使います。茎の中に入っている虫を駆除するのに、硫黄でいぶすこともあります。フトイ1束で片足分。手編みで1年に50足ほどの草履をつくります。
 渡部さんから習ったおえ草履に、成瀬さんはさらに工夫を加えています。鼻緒は、会津木綿を柿渋で染め、日本三大刺し子に数えられる庄内刺し子を施す。足底にはイノシシ皮を合わせて補強し、家の内外問わず何年も履くことができるようにしました。
 地元でとれたイノシシの皮をなめして送り返してもらうアイデアは、本誌2013年秋号(15号)を参考にしたそうです。

島でとれた酒米で「島の酒プロジェクト」

見崎義顕


石坂淳さん(右)と
数馬酒造の社長・数馬嘉一郎さん

石川から
 能登湾に浮かぶ七尾市能登島。ここには、島でとれた酒米だけを使った地酒「能登島」がある。
 そのきっかけは、島の観光協会青年部が2015年に立ち上げた「島の酒プロジェクト」だ。「島の特産品をつくりたい」「年々増えている耕作放棄地をなんとかしたい」と酒米からの酒づくりを始めることにした。
 約80aに酒米「五百万石」を作付け。地元農家7人が協力しているほか、同青年部が主催する田舎暮らし体験に首都圏から参加する人たちにも、一部の区画で毎年イネを手植えしてもらう。
 このプロジェクトのリーダーで農家でもある石坂淳さん(45歳)は、「日本酒1升を飲んでもらうごとに、畳2枚分の田んぼが守られる。地元農家のやりがいにもなっている」と話していた。
 醸造するのは能登町の数馬酒造だ。プロジェクトでは毎年1タンク分の酒をつくってきた。収穫した酒米のうち20俵を使い、一升瓶(1・8ℓ)換算で約800本の酒ができる(残りの米は他の業者に販売)。
 20年は酒米1俵あたりの買い値に1000円上乗せし、1俵1万4500円で買い取った。協力農家に少しでもおカネが回るようにしたいそうだ。
 これまでは島内限定販売で、発売後すぐに完売するほどの人気だったが、今後は島外にも販路を広げるつもりだ。

酒づくりをもっと北で公設民営の酒蔵が稼働

高橋明裕


酒蔵の外観。見学可能で観光施設としても活用するつもりだ

北海道から
 明治時代から140年余り続く岐阜県中津川市の三千櫻酒造が20年秋、北海道東川町に移転しました。
 杜氏で社長の山田耕司さん(60歳)は、施設の老朽化に加え、温暖化で醸造に適した低温の期間が岐阜では短くなってきて、数年前から移転を模索していたそうです。知り合いを通して、東川町が「公設民営」の酒蔵の運営会社を公募していることを知り応募しました。
 東川町は大雪山系旭岳からの湧水に恵まれた米どころ。気候も適していると魅力を感じたそうです。
 新しい酒蔵は町が建設し、その運営を酒造会社に委託します。総事業費は3億5000万円で、そのうち1億円は国の「農山漁村振興交付金」を利用しました。残りは、借入額の8割が地方交付税に算入される「辺地債」で賄っています。借入額の2割・5000万円は、10年分の利用料金として三千櫻酒造が負担するので、町の負担金はありません。
 原料の米はJAを通して地元の酒米を購入します。新たな酒蔵ができたことで酒米の作付面積は4ha増え、町内の農家5戸が「きたしずく」と「彗星」という品種を栽培することになりました。
 移転に伴い、杜氏家族を含む3戸7人が東川町に移住しました。新しい酒蔵は11月から稼働し、冬から新酒の販売が始まります。ふるさと納税の返礼品として活用することも検討しています。

コロナ禍で「半農半劇」を決意

橋本康範


田植え後のバーベキューの様子

山口から
 真打の講談師・神田京子さんと詩人の桑原滝弥さん夫婦は、「子育ては地方でやりたい」と、東京から山口市に移住した。新型コロナが深刻化する直前の2020年2月のことだ。2人とも東京に住まなくても仕事は成り立つ。数年前にUターンした桑原さんの詩人仲間と共に山口発の文化プロジェクトをしようと移住先を決めた。
 引っ越してすぐ、コロナ禍で公演キャンセルが続いた神田さんは、知人のつてで山口市阿東地区にある「山内農園」で働くことにした。
 農業には以前から興味があったそうだが、これまで東京を拠点に仕事をしてきて食べ物の生産過程に関わることはなかった。ハウスを建ててトマトを定植したり、田植えをしたり、草刈りをしたりと農作業を通して、その大変さや担い手不足の実情を知った。
 農園で働くうちに地区住民とも仲良くなり、お年寄りに昔話を聞いたりするなかで、農と芸能を結び付けた地域貢献をしたいと考えた。空き家だった古民家を借りたので、そこで自身の芸や地域の伝統芸能を披露し、地区内外の人たちが交流できる拠点にするという。
 コロナ禍で多くの芸能仲間が困っているが、一方で農村は人手を必要としている。神田さんは「農村での出会いや労働を通して、自分の芸に幅が出てきた。農村を拠点に芸能の舞台にも立つ『半農半劇』の魅力を仲間にどんどん発信したい」と語る。

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