このコーナーは、「ゆるがぬ暮らし」「ゆるがぬ地域」づくりに取り組む、全国各地の耳寄りな情報です。

空き支店を女性部の活動拠点に

細田実生

岡山から
 旧JA岡山東(現JA晴れの国岡山)の女性部・山陽支部の悩みは、自分たちが好きな時に使える活動拠点がないことでした。集まりの度に公民館や会議室を借りてきたそうです。
 2016年のJAの支店統合で近所の支店が「空き家状態」になっていることに気付いたメンバー。そこを支部の活動拠点にできないか提案し、19年から無料で使えることになりました。
 総出で大掃除し、お盆や食器、ティーポットなどは各家庭で使っていないものを持ち寄り、机と椅子、オーブンレンジ、ミシンなどは新たに買い揃えました。「えがおのへや」と名付け、クズ編み講座や料理教室などを開催。「いつでも集まれる場所っていいね」と、代表の右遠皇子さんは言っていました。

農福連携でつくるスギナ玄米茶

櫻井歓太郎


スギナ玄米茶。1袋20パック入り(100g)・1080円(税込)

三重から
 津市榊原地区の農家・川原田憲夫さんは、2015年に「スマイルコーン」という就労継続支援B型事業所を立ち上げ、障害者15人とともに野菜を栽培しています。
 後継者不足で耕作放棄地も増えてきた同地区で農業者を育てるためには、農福連携をベースにしながら障害者に農業の技術を教えていく必要があると考えました。
 立ち上げ当初は収穫できるものが少なく、ツクシや放置されたカキなど「カネになるものを拾って運営してきたんよ」と川原田さん。そこから生まれたのが「スギナ玄米茶」です。福祉団体の農業はどうしても「素人の農業」と見られがち。だから、農家でも取るのが大変だという農水省の6次産業化認定を18年に取得し、商品化したといいます。
 お茶づくりは主に雨の日の仕事で、スギナはハウスで肥料を施して栽培しています。約40㎝で刈り取って干し、乾いたら手でもみ、ミルで粉にして炒った玄米と混ぜ、お茶パックに詰めたら完成です。スギナ特有の青くささが気になるので、ソバ粉や米ヌカなどいろいろ試した末、玄米をブレンドすることにしました。
 スギナはカルシウムが豊富。これを飲んで骨密度が上がった人もいるとのこと。年間売り上げは20万円ほどです。しぶとく生えてくるスギナは農家にとって憎き敵かもしれませんが、それを味方につけて障害者の仕事をつくる川原田さんに、今後も注目です。

廃酒蔵で醸造するのは「地域の価値」

菊地厚志


三豊鶴のメンバー。土木工務店や建材業、農業などが生業。左から2人目が細川さん

香川から
 三豊市詫間地区には、廃酒蔵をゲストハウスにして地域おこしをしている若手5人衆がいます。その名も「三豊鶴」。1877年に創業し、2005年に廃業した蔵の屋号が由来です。
 所有者が地元を離れていたこともあり、近所からは空き家となった酒蔵を心配する声が市役所に寄せられていました。そんな話を聞いた30〜40代の5人が、19年3月に合同会社を立ち上げ、共同出資で廃酒蔵を買い取ったのです。
 約160㎡の酒米貯蔵庫はレストランスペースにリフォームして、同年5月に「地域食文化継承レストラン」というイベントを開催。詫間地区出身のシェフが地元食材を使った料理を提供し、9日間で1200人が訪れました。また1500㎡もある本蔵では、大道芸人を呼んで酒樽でパフォーマンスをしてもらったりと、地元の人たちに大好評。昨年9月には、杜氏が寝泊まりしていた部屋を改装してゲストハウス「三豊鶴TOJI」をオープンしました。
「免許がないからお酒はつくれないけど、地域の価値を醸造したいねってメンバーと話してます」と農家の細川貴司さん。儲けはほとんどないそうですが、地域内外の人が交流するこの拠点から新しい何かが生まれてくるのが楽しみなんだとか。使われなくなった酒蔵が再び地域の中心になっていることが素敵だなと思いました。

被曝牛を飼い続ける話をオンラインで聞く授業

原田順子


吉沢さんとのオンライン授業の様子

岡山から
 東日本大震災からもうすぐ10年の2021年3月3日、被災地の現状を現地の人から聞く交流授業が岡山大学教育学部附属中学校で開かれました。総合学習を活用し、オンラインで行なわれました。
 参加したのは3年生11人と、福島県浪江町で被曝した牛を飼い続ける「希望の牧場ふくしま」代表で畜産農家の吉沢正巳さん(本誌18年冬32号参照)。
 吉沢さんは震災当時を振り返り、原発から半径20㎞圏内は立ち入り禁止となり、多くの牛が鎖につながれたまま餓死したことや、国が生き残った家畜の全頭殺処分を決定し、酪農家は泣く泣く従い、命の扱いが極限的な状態になったことを話しました。牛を見殺しにできない吉沢さんはバリケードを壊しながら牛たちにエサを与えました。被曝した牛を飼い続けることが原発事故の事実を伝えるという思いで、自らの被曝も覚悟して牛とともに生きる道を選んだそうです。福島で起こったことは、明日は自分たちの身の上に起こるかもしれないと思って風化させないでほしいとも訴えました。
 生徒からは「原子力発電に関してどの程度理解しているのですか」「地震のリスクが少ない外国でも原発はなくすべきだと思いますか」「希望とは何ですか」「支えになった言葉は何ですか」と次々に質問が続き、吉沢さんは一つ一つに丁寧に答え、中学生たちは真剣に聞き入っていました。

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