東北(ふるさと)はあきらめない!

2011年6月30日発売 定価926円(税込)

[巻頭言]あきらめなければ、人は無力ではない

カフェ ドマーニ

写真=尾崎たまき

 震災後の岩手県陸前高田市を、2度訪ねた。1度目は4月半ば。津波が襲った市街地跡では、自衛隊の重機がところどころ見えるだけで、道路以外は、まだがれきの山だった。ただただ自然の猛威と、人間の無力さを感じた。

 2度目は5月初め。民間の重機も目立つようになり、がれきの片づけも少しすすんでいた。避難所近くの公民館につくられた「復興の湯」は、湯船も床も杉、ヒノキづくり。その前庭の小屋は臨時の床屋で、「お風呂の前にさっぱりしましょう」の看板と、ペットボトルに赤青白のマジックインクを塗った回転灯が掲げられていた。さらに八木澤商店会長・河野和義さんに、「かたちあるものはみな流されたが、社員と人のつながりという最高の宝が残った」というお話を聞いた。工場も店も自宅もすべて流されながら、震災後1カ月は社を挙げて在宅被災者支援に全力を注ぎ、その後二十数日で味噌・醤油販売の業務を復活させた(38ページ)。人は無力ではないと思った。

 それに比して、先の見えない原発災害。本誌の前身である『増刊現代農業』1988年9月号「反核 反原発 ふるさと便り」では、福島県浪江町の舛倉隆さん(当時74歳)が、「農家が電力会社に土地を売らなければ原発はできない」と、20年にわたるたたかいを静かに語っていた。東北電力が東京電力に電気を売るために計画した浪江・小高原発は、23年後のいまも建っていない。だが今回の原発災害では、浪江町もほぼ全域が警戒区域となり、人びとは避難生活を強いられている。その無念はいかばかりか。

 しかし、その原発災害に対し、桜井勝延・南相馬市長は「南相馬を原発克服の拠点に」と語り(68ページ)、菅野典雄・飯舘村長は「『避難計画』ではなく『早期帰村希望プラン』だ」と、語る(8ページ)。おふたりは、ともに酪農家出身で、本誌読者。

 本誌は、あきらめない東北と、あきらめない農家とともにある。

──編集部

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