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唄は農につれ農は唄につれ連載

【唄は農につれ農は唄につれ 第3回】日本人の心奥にある「北・東志向」と「舶来信仰」

『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではその3回分を1回にまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。

前田和男(ノンフィクション作家)

これぞ決定打!?

 昭和戦後歌謡の題材として、量と質ともに、リンゴがミカンを圧倒しているのはなぜか? 前回、その理由について、以下の二つの仮説を立てた。

  • ① 並木路子の「リンゴの唄」が終戦直後の日本をチアアップしたから
  • ② 当時リンゴは現在の物価で1個2000円~3000円と高値の花で庶民の憧れだったから

 私なりに自信も根拠もあったのだが、①については、「リンゴの唄」の大流行の翌1946年、「みかんの花咲く丘」が大ヒット、これによりミカンも戦後復興の応援歌になりうる資格を得た。②については、リンゴは戦後数年で値下がりして庶民の手に届くようになった。これらのことから、残念ながら①②の仮説ともに「却下」せざるを得なかった。

 そこで資料にあたりなおしたところ、上記二つに代わる「これぞ決定打」といえる有力な仮説が二つ見つかった。今回はそれをご披露しつつ検証をすすめよう。

歌謡曲の根にある「北・東志向」

 決定打と自負する最初の仮説は、リンゴとミカンをめぐる「北高南低論」あるいは「東高西低論」――つまりリンゴの主産地が「北と東」に対してミカンの主産地は「南と西」であり、それが日本の歌謡曲を根底で支えている「原理」とシンクロしているから、というものだ。

 と言われても、よほどの歌謡曲通でないかぎりピンとはこないだろう。おそらく多くの読者には意味不明と思われるので補足をすると、日本の流行歌を下支えする有力な「原理」とされる一つに、北信越から東側の関東・東北・北海道エリアを舞台ないしはテーマにした歌が好まれる(日本人の琴線をふるわせる)という「北・東志向」がある。リンゴをモチーフにした流行り唄はそれに適合しているがゆえに「ミカンの唄」を圧倒しているというものである。

 と言われてもまだピンとこないかもしれないので、「論より証拠」を示そう。
1989年、昭和が終わって元号が平成と改まったのを機に、NHKでは20代以上の男女2000人を対象に、「昭和の歌 心に残るベスト200曲」なるアンケートを実施した。この調査結果を用いて、日本の歌謡曲を根底で支えている先の「原理」の適否を検証してみよう。

 トップ10のうち、「北・東志向」は、

  • 1位「青い山脈」(藤山一郎、昭和24)
  • 3位「リンゴ追分」(美空ひばり、昭和27)
  • 9位「リンゴの唄」(並木路子、昭和21)
  • 10位「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり、昭和52)

の4曲。これに対して「南と西方志向」は

  • 7位「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子、昭和47)

1曲だけである。

 さらに200位までのすべてを精査してみると、「北・東志向」は12位の「北の宿から」(都はるみ、昭和50)から174位「北帰行」(小林旭、昭和36)まで28曲。いっぽう「南・西志向」は26位「南国土佐を後にして」(ペギー葉山、昭和34)から196位「柳ヶ瀬ブルース」(美川憲一、昭和41)まで8曲(なお東京、大阪、京都などの都会をテーマにした曲はいずれからも除外した)。

 トップ10でも、11位~200位でも、「北・東志向」と「南・西志向」の差は4対1と変わらない。どうやら、少なくとも昭和が終わった時点では、日本の歌謡曲を根底で支えている「原理」は健在のようだ。

リンゴ追分(日本コロムビア)

庶民も識者も好みは「北・東志向」のはやり唄

 しかし、その後はどうなのだろうか? 関東以北がしばしば冷害に襲われた戦後しばらくまでならいざ知らず、高度成長後に都市への集中が全国で進むなか、日本人に哀惜の感情を惹起させる「心のふるさと」はもはや北も南も西も東もない。

 それによって昭和歌謡における「北・東志向」の原理もなんらかの修正を迫られるのではないか? そんな筆者の疑念を検証するのにうってつけのデータに、つい最近、出会うことができた。

 昨年末、五木寛之氏が「文藝春秋」誌上で「昭和万葉集」の編纂を呼びかけたところ、それに応じた34人の政治家から学者・文化人までの著名人の回答がそれである。

 それぞれ3曲を推挙(中には1曲だけの人もいる)、まずはその中から「北・東志向」を推薦者名とともに掲げる。

  • 「石狩挽歌」栗山英樹・斎藤孝・四方田犬彦
  • 「北の旅人」栗山英樹
  • 「達者でナ」坂東玉三郎
  • 「リンゴの唄」中西進
  • 「山のつり橋」細野晴臣
  • 「潮来花嫁さん」細野晴臣
  • 「越冬つばめ」中野信子
  • 「リンゴ追分」中野翠
  • 「津軽のふるさと」内館牧子
  • 「風雪ながれ旅」内館牧子
  • 「雪山に消えたあいつ」永田和宏
  • 「北国の春」山川静夫
  • 「まつり」伊東豊雄
  • 「北の蛍」中沢新一
  • 「望郷じょんがら」中沢新一
  • 「虹と雪のバラード」楠木建

以上「北・東志向」の結果は、14人の推挙による16曲。
かたや「西・南方志向」は、

  • 「木綿のハンカチーフ」斎藤孝・清水みちこ
  • 「からたち日記」細野晴臣
  • 「無法松の一生」内館牧子

の4人の推挙による3曲である

 なお「木綿のハンカチーフ」を「西・南方志向」としたのは、以下の歌詞からこの歌の舞台が西日本と推察されるからだ。

♪恋人よ ぼくは旅立つ 東へと向う列車で~

 同じく、「からたち日記」はカラタチがカンキツ類であること、「無法松の一生」は舞台が小倉であることによる。

 さて、この「昭和万葉集」のアンケート結果には、二つの点で驚かされた。

 一つは、先に紹介したNHKの「昭和の歌 心に残るベスト200曲」アンケートから30年以上もたっているのに、推挙した識者の数でいうと「北・東志向」18人に対して「南・西志向」4人で両者の差は約4対1と変わらないが、推挙された曲数でいうと前者16曲に対して後者3曲。両者の差は5対1とむしろ大きくなっていることだ。

 二つめは、物事を理性的に考えると思われる識者のほうが、NHKがアンケート対象にした一般庶民よりも「北・東志向」が強い、こと昭和歌謡となると、識者は、庶民よりも琴線をふるわせ情緒に流される傾向が強い。筆者にとって驚きはこちらのほうが大きかった。

 やはり、今もなお「北・東方志向」は日本の歌謡曲を支える一大原理であり続けているようだ。

 そうである以上、北と東を主産地とするリンゴをテーマにした唄が、南と西のミカンのそれを凌駕するのは必然といっていいのではないだろうか。

舶来のリンゴと日本人の舶来信仰がシンクロ

 しかし、「流行り唄における北・東方志向」だけが、昭和戦後歌謡の題材としてリンゴがミカンを圧倒している理由を読み解くことができる仮説ではない。もう一つ決定打と自負する有力な説をお示ししたい。

 それは明治維新以降、日本人の心性の深奥に刷り込まれた「舶来・ハイカラ志向」である。

 日本人になじみの果実という点ではミカンのほうが圧倒的に古い。すでに「日本書紀」に「常世(とこよ)の国からもたらされた」との記述がある(おそらく中国伝来をほのめかしたものだろう)。下って室町時代、紀州は有田に一大産地が形成された。江戸時代には「♪沖の暗いのに白帆がみえる あれは紀の国みかん船」とうたわれた「紀文」こと紀伊国屋文左衛門の伝説を生み、日本の庶民の代表的果実として親しまれて久しい。

 かたやリンゴはというと、国民的果実となる契機は明治初期。北海道開拓使が政府の命を受けてアメリカから「国光」など70数種のリンゴを七重村(現七飯町)の官営農場に移植。そこから道内各地へ、そして津軽海峡を越えて東北、信州へと広がっていった。

 こうした「新参の舶来物」というリンゴの出自が、明治維新以降日本人の心奥にひそむ舶来信仰とシンクロ。さらに戦後は、日本のリンゴのふるさとでもあるアメリカから新参の支配者がやってきて舶来信仰を促進。いっぽうで在来の土着文化が排斥されることで、リンゴの歌謡がミカンの歌謡を凌駕することになったのは間違いなかろう。

舶来×土着の相乗効果

 しかし、わが仮説は「リンゴ=舶来・ハイカラ」vs「ミカン=土着・古めかしい」という単純かつ単線的な二項対立の構図ではない。

 舶来×土着の両者の掛け合わせによるシナジー効果がこれに加わって、いっそうリンゴとミカンの距離を大きくしたと考えられるのだ。

 その着想を得たのは、上前淳一郎の『イカロスの翼 美空ひばり物語』(文藝春秋、1978年)である。同書はのど自慢の天才少女を「昭和の歌姫」にまで育て上げた伝説のプロデューサー福島博(通称・通人)を通して、ひばりとそれに共感した戦後日本人の心性をあぶりだした好著だが、ひばりにとって革命的転換曲となった「リンゴ追分」の誕生秘話が、福島通人の目線から次のように描かれている。

 「(久保栄が戦中に書いた戯曲『林檎園日記』をたまたま見つけて)その題をみているうちに、ふと思いついた。ひばりを津軽のリンゴ園においてみたらどうだろう、と。津軽とリンゴには、それだけでヒットの要素があった。しばらく前に映画化されて大当りをとった石坂洋次郎の『青い山脈』の舞台が津軽だったし 、『リンゴの唄』流行の余韻も残っていた。外国からもたらされたリンゴには、土の香に混って海の向うの匂いがある。庶民的でいながら反面、横浜育ちでもあるひばりのイメージと似通っていなくもない。ちょっとバタ臭い少女が、北国の古い家のしがらみの中で悩んだり、明るく歌を歌ったりする――これだ、と思った」

青い山脈(日本コロムビア)

 なるほどそうだったのか! まさに舶来×土着の相乗効果。かくして「リンゴ追分」はひばりを飛躍させる一大転機となったが、リンゴをモチーフにする戦後昭和歌謡の飛躍にもなったのだった。これではミカンの歌たちが敵うわけがない。

 さて、これにて「リンゴとミカンの歌合戦」の謎解き捜査は無事完了である。

 リンゴの歌たちの勝因を、日本人の心奥にある「北・東志向」と「舶来信仰」の「合わせ技で一本」としたいが、いかがであろうか。


著者:前田 和男(ノンフィクション作家)

1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。

*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌では3回分を一部要約してお届けします。

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農文協 編
遊休農地の活用策を探るシリーズの第3弾。 「誰が?」では、下限面積が廃止になった影響を検証。これまで農地を持たなかった人が小さい畑を取得する動きが各地で生まれている。農家も農地も減少しているが、兼業・多業による小さい農業が新しい「農型社会」をつくる事例を。 「なにで?」は農地の粗放利用に向く品目を取り上げた。注目はヘーゼルナッツ。 「どうやって?」コーナーでは、使い切れない農地を地域で活かすために使える制度・仕組みを取り上げた。
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