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【唄は農につれ農は唄につれ 第6回】カエルの唄にも「現代のわざうた」

『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではその3回分を1回にまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。

前田和男(ノンフィクション作家)

田んぼの代かきがカエルを鳴かせる

農業・農村と生き物との関係をモチーフにした日本の楽曲のなかで、「カエルの唄」が数多く、しかもその多くが「カエルを好ましいもの」として歌われてきた。それはなぜなのか? 

前回は、「カエルが鳴くと雨が降る→それを合図に農民は田植えに向けて代かきを始める→だからカエルの鳴き声を愛でる唄が生まれる」と立論したが、日本気象協会の「お天気百科」によるとカエルが鳴いても雨が降る確率は3割ほど。また「ちゃっきり節」のエンディング「♪きゃあるが鳴くんで雨ずらよ」の名文句を作詞家の北原白秋が着想したのは、代かき・田植えの時期ではなくイネ刈りが終わった晩秋だったことから、残念ながらこの立論はご破算にするしかなくなった。

では、どう考えたらいいのだろうか? 改めてゼロベースから検証し直してみた。

すると、そもそも前回の立論は、「原因と結果」が逆であることに思いあたった。すなわち、「カエルが鳴くから代かき・田植えの合図になる」のではなく、「人間が代かきするからカエルが鳴く」のではないか。

この気づきを与えてくれたのは、畏友の宇根豊の最近著『農はいのちをつなぐ』(岩波ジュニア新書、2023年11月)である。そこには、百姓農学者を自認する宇根ならではの、実体験にもとづくカエルとの出会いが次のように記されている。

「代かきが終わった日の夜になると、村中がカエルの鳴き声に包まれます。(略)田植えの前にまとまった雨が降り、田んぼにたっぷり水がたまっても、決してカエルは鳴きません」

その理由を宇根はこう推論する。

「代かきした後の田んぼの水は、お日様に照らされると、水温が急上昇します。6月ならば30℃以上になります。それに、オタマジャクシの餌となる藻類がすぐに発生して増えてきます。つまり生まれてくるオタマジャクシがすくすく育つ条件が代かきによって整うのです。カエルたちはこのことをよくわかっているに違いありません」

写真=宇根豊提供

カエルと人は田んぼ仲間

さらに宇根は、このカエルの鳴き声と代かきとの因果関係の背景について、示唆にとんだ指摘をしている。

「代かきは、カエルの産卵とオタマジャクシ(御玉杓子)の成長を助けるためにやっているのではありません。あくまでも田植えの準備のためです。しかし、カエルたちは『自分たちのためにやってくれている』と感じているのではないでしょうか」

ここから、農とカエルを含む生き物の関係をめぐるじつに興味深い新たな立論にたどり着くことができそうだ。

古来、日本では、田んぼで命の糧として米をつくることが、結果としてカエルをはじめ田んぼの生き物たちの命の循環につながっている、という自然観がつちかわれてきた。

ちなみに宇根はこう記す。

「狭い田んぼで代かきしていると、カエルたちは耕耘機やトラクタ等に巻き込まれないように、田んぼから上がって、畦に避難し、そこに、ずらっと並んで耕耘機を押す私を見ているのです。私はそこで『よおっ、今年もやってきたね』と目を合わせながら声をかけます」

終戦後の数年までは、日本の主産業は農業で主食は米だった。田んぼは身近にあり、多くの日本人は、宇根のように言語化はできなくとも、カエルに対して、「共に田んぼで生きる五分五分の仲間意識」を抱いて、それが唄にも反映されてきたのではないだろうか。

ご飯1杯でオタマジャクシ35匹が育つ

ご飯1杯でオタマジャクシ35匹が育つ。宇根豊作『田んぼのめ ぐみ』(2003年)表紙

かつて宇根は減農薬運動に取り組むなかで、「田んぼの生き物調査」を提唱し実践してきた。そのなかで、米が田んぼでどれぐらいの生き物を育てているかというユニークな指標を着想。それによると、ご飯1杯はイネ3株分で、そこからオタマジャクシ35匹が育ち、ご飯3杯分イネ9株でカエル1匹が成長すると試算。厳密にいうと学問的な裏付けがあるわけではないが、これは「カエルと人とは同じ田んぼ仲間」をシンボリックに見える化したといっていいだろう。

♪蛙(かわず)のなくねも かねの音も さながら霞める朧月夜(「朧月夜」1914年、尋常小学唱歌)
♪かえるが鳴くからかぁえろ(「かえろかえろと」1925年、小学唱歌)
♪月夜のたんぼで鳴る笛は あれは蛙の銀の笛(「蛙の笛」1946年、童謡)

前回例示したように、これらは日本人なら子供も大人も知っているカエルをモチーフにした唄だが、いずれも「田んぼ発のカエルの鳴き声への共感」が込められている。

いっぽうで、欧米では、I have a frog in my throat(声がしゃがれている)の表現からもわかるように、「カエルの鳴き声」は好ましくないものだが、それは田んぼがないからではないか。

「ちゃっきり節」はカエルの里帰りの唄!?

では、「♪きゃあるが鳴くんで雨ずらよ」(「ちゃっきり節」、作詞:北原白秋、作曲:町田嘉章、1927年)は、どう考えたらいのだろうか?

これについても、宇根の前掲書にヒントがある。

「田植えの前になると、果樹園や畑では大きな変化が起きます。カエルが1匹もいなくなるのです。みんな田んぼに行ってしまうからです」。しかし「カエルになってしまうと、水辺よりも畑や果樹園のほうがくらしやすい」

こう宇根が記すように、カエルは春になると、パートナーを見つけるために水を求めて畑や果樹園から田んぼへやってくるが、産卵をすませると古巣へ里帰り。そして地上温度が10℃以下になる11月ごろから地中か落ち葉の下で冬眠に入る。その冬眠場所は、十分な水分がなければ干上がって死んでしまい、冬を越すことができない。そこで冬眠前に地上に「お湿り」を期待。すなわち「安らかなる冬眠のための雨乞い」――それが「♪きゃあるが鳴くんで雨ずらよ」の含意という解釈はいかがだろうか。

ちなみに、この「ちゃっきり節」は、今から百年近く前の1927(昭和2)年、静岡の遊園地のPRソングとして北原白秋に作詞が依頼されたものだが、その鳴り物入りの開園はちょうどカエルたちが冬眠に入り終える11月末であった。

なお、宇根は小さな田んぼの裏山で夏ミカンを栽培――より正確にいうと実がなるにまかせている。今や都会はもちろん地方の八百屋でも売っていない「元祖夏ミカン」である。口にすると、酸っぱさに思わず口元がとがって少年時代の夏の記憶が懐かしくよみがえってくる。宇根は、そんな年来の百姓暮らしから「カエルの里帰り」を目撃できたのであろう。

「手のひらを太陽に」は田んぼの生き物の生存危機の唄?

さて、これで一件落着と安堵。だが、今一度「カエルたちの唄」をおさらいしてみると、またまた疑念がわき、そこから想定外の発見がもたらされた。

前回冒頭で掲げたように、日本人のほとんどが知っている「カエルたちの唄」は、小学校唱歌が中心で、しかも生まれは終戦後の昭和20年代前半までである。それは本稿の立論から導き出される当然の帰結だと思い込んでいた。すなわち、高度成長とともに農薬と化学肥料による農業の近代化が一挙に進展、田んぼはカエルたちには生きづらい場所になり、そのためカエルを愛でる新しい唄など生まれようもなくなった、と。

ところが、高度成長のまっただ中に、老いにも若きにも今なお愛唱されているカエルを歌いこんだ国民歌謡が生まれていたのである。

それは、1961(昭和36)年に制作され、翌年NHK「みんなのうた」で大ヒットした「手のひらを太陽に」(作詞:やなせたかし、作曲:いずみたく、歌:宮城まり子)である。

ビクターエンタテインメント

タイトルにカエルがないので見落としていたのだが、3番まである歌詞の中ほどに、

♪トンボだってカエルだって……みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ

と、「人間にとっての愛すべき友だち」として歌われているではないか。

それだけではない。さらに思わぬ大発見があった。

この唄には、カエルをふくめて、ミミズ、オケラ、アメンボ、トンボ、ミツバチ、スズメ、イナゴ、カゲロウの9種類の生き物が登場するが、いずれも「愛すべき人間の友だち」としての「田んぼの生き物」たちである。すなわちカエル、アメンボ、トンボ、カゲロウは田んぼに張られた水の中で、ミミズとオケラは水分と栄養をたっぷりふくんだ田んぼの地中で、ミツバチは田んぼで出穂したイネの受粉で、スズメとイナゴは田んぼのイネを餌に――そして私たち人間も同じく田んぼの米を主食に命をつないできた。

しかし、この「手のひらを太陽に」は、今から60年前も、そして今も、私たち人間を含む生き物全般の「生命の礼賛歌」として、とりわけ子供たちには「好ましい歌」と受け止められている。まさか「田んぼの生き物」たちと人間との共生が「裏テーマ」だとは思ってもみなかった。しかも、改めて思い返せば、この唄が生まれたときは、農薬散布で彼らが田んぼで生きづらくなった時期であり、それをもたらしたのは他ならぬ彼らの友だちのはずの私たち人間だった。

「悪しき出来事」を予知・警告する「現代のわざうた」

かつて上古の日本では、やがて起きる「悪しき出来事」を予知・警告する「わざうた」(「童謡」とも「謡歌」とも表記される)が歌われた。その「わざうた」効果が「農の唄」にもしばしば発現されてきたことは、すでに本連載でも何度か指摘しているが、「手のひらを太陽に」もそうだったとは!

この唄の作詞者はやなせたかし。大人向けのナンセンス風刺漫画家として壁に突き当たって悩んでいた自らを励まそうと、たまたま余技で作詞したものだった。この唄が転機となって、やなせは子供たちの永遠のヒーロー、アンパンマンを生み出すが、私を含めて当時の大人たちは、この唄を田んぼの生き物たちの存続の危機を予知する「わざうた」だと気づくことはなく、「農の在り方」の転機とすることはなかった。この唄にはかくも重大なメッセージが隠されていたとは、わが不明を恥じるばかりだ。

そして、それから10年ほどたった1972(昭和47)年、カエルをテーマにしたアニメの主題歌が大ヒットする。「ど根性ガエル」(作詞:東京ムービー企画部、作曲・編曲:広瀬健次郎)である。

日本コロンビア

♪トノサマガエル アマガエル カエルにいろいろあるけれど

アニメの話とはいえ、ここに至って、ついにカエルは田んぼを捨てて都会にすむ主人公ヒロシ少年のTシャツに貼りついてそこを住処とする。

大人たちからすると、所詮は荒唐無稽な作り話と笑いとばすかもしれないが、今度こそ人とカエルの未来の関係を言い当てている「わざうた」かもしれない――すなわち人間による田んぼの生き物いじめもここに極まった――との想像力をもつべきだった。だが、残念ながら、そうはならなかった。


(この項つづく)


著者:前田 和男(ノンフィクション作家)

1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。

*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌では3回分を一部要約してお届けします。

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農文協 編
遊休農地の活用策を探るシリーズの第3弾。 「誰が?」では、下限面積が廃止になった影響を検証。これまで農地を持たなかった人が小さい畑を取得する動きが各地で生まれている。農家も農地も減少しているが、兼業・多業による小さい農業が新しい「農型社会」をつくる事例を。 「なにで?」は農地の粗放利用に向く品目を取り上げた。注目はヘーゼルナッツ。 「どうやって?」コーナーでは、使い切れない農地を地域で活かすために使える制度・仕組みを取り上げた。
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