菅家洋子さんは、ご夫婦でカスミソウや様々な草花を栽培する農家。その家業の傍ら、出店本屋「燈日草」を開くようになって4年目になります。菅家さんが暮らす福島県西部の昭和村では、廃校を利用した交流・観光施設「喰丸小」で村民がお店を開く事業を村が進めているとのこと。月に3~4日(週末)、菅家さんはここで小さい本屋を開くのです。本の仕入れ方などの詳細は『季刊地域』vol.58(2024年夏号)で紹介しています。この連載では燈日草の日々の様子を綴ってもらいます。本を通した素敵な出会いがあるそうです。
菅家洋子(福島県昭和村・花農家)
パレスチナでも同じように
これまで、本屋として出店する以外に、上映会や展示会など、いくつかの催しをここで開いてきた。そのなかで2021年から毎年行っているのが、原爆をテーマにした「ヒロシマ展」。
昨年までは、往復送料の負担のみで借りることができる広島平和記念資料館の資料を使わせていただいてきた。パレスチナでの虐殺が続くなか、これまで以上の願いを込めて「ヒロシマ展」を開きたいという気持ちがあった。
今年1月、初めて訪れた「原爆の図 丸木美術館」(埼玉県東松山市)。そこで「原爆の図」第3部「水」を目にしたとき、この画を「ヒロシマ展」で展示することができたら、という思いがぐっと湧きあがった。画の中心に傷ついた母子像が描かれた、第3部「水」。パレスチナでも同じように、たくさんの女性と子どもが犠牲になっていることに想いをはせる機会になればと、原寸大複製画をお借りすることに決めた。
「原爆の図」は、1.8m×7.2mというとても大きな作品。時を経た喰丸小の木造校舎の教室で、「原爆の図」は不思議な静けさとともにあった。多くの人が画の前にたたずみ、向き合い、それぞれに想いを巡らせ、また言葉にして聞かせてくださった。苦しみと悲しみの画から見出すことのできる美しさに、気づく人たちがいた。
描いた丸木夫妻、描かれた被爆者たち、そしてこれまでこの画に触れた人々によって、重ねられてきた祈りがある。見るほうの心にも同じようにその想いが浮かぶとき、通いあう念が、美しさとして表われるのかもしれないと思った。
会場では毎日、4編の詩と物語の一部を朗読した。遺された言葉に込められている想いや願い、どうか届いてほしいと、それだけを願って心身を振り絞るようにして読んだ。「原爆の図」と喰丸小、さし込む光と緑、降り出した雨の音。2024年、4回目の「ヒロシマ展」は、忘れられない特別なものになった。
女性3人旅のお客さま
夏期に入り、かすみ草や草花がどんどん咲いて、いよいよ仕事も忙しくなってきた。
7月は3連休に出店。早朝に数時間ほど仕事をしてから燈日草を開き、いつもより少し早めの15時頃に閉店して帰宅、その後遅くまで仕事、という流れを3日間繰り返す。なかなかハードになる。家を出てくるときは、仕事をこんなに残したままで…という気持ちをぬぐえぬまま喰丸小に来るのだけれど、帰り道には、燈日草を開く以外に大切なことなんてあるだろうか……みたいな気持ちになっている。
3連休中日、閉店の時間が迫る頃、女性3人連れのお客さまがご来店。本に詳しい方の様子。ちらちらと聞こえてくる会話、本に対するコメントがとても共感できるもので、私も混ざりたいな~と、楽しそうな女性3人旅をとてもうらやましく思った。
数日後、その中のおひとりから、メールをいただいた。その方は大学で文化人類学を教えておられる先生で、燈日草にあった本の少なくとも3分の1が、ご友人やお知り合いが書いたか、ご本人が授業などで使っているものだったという。
そうだったんだなぁと驚きながら、先生の授業を受けてみたいなと思った。そして、燈日草って「文化人類学者の本棚」みたいなところが、もしかしたら少しあるのかなと、自分では知り得ない一面に気づけたようで面白かった。
メールは「素敵な品揃えの本屋さんに行き会うことができて嬉しかったです。そのことをお伝えしたくてメールを差し上げました」と締めくくられていた。内容とともに、わざわざメールを書いてお気持ちを伝えてくださったことを、とてもうれしくありがたく思った。
遠方にお住まいで、たまたま喰丸小を訪れた方。その日、燈日草を開いていたからこそ、生まれた出会いと出来事。出店してよかった、と思う。そして、だからやっぱり出店したい、と思う。
わが家で育てたお花のブーケも好評で、午前中に完売の日も。アキレア、エリンジウム、アップルミント、モナルダ、パープルイリュージョン、プチパール(カスミソウ)、かわいいブーケになった。
著者:菅家洋子(福島県昭和村・花農家)