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【唄は農につれ農は唄につれ 第30回】恐るべし、「ニワトリ童謡」の予知力

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『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではそれをまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。

前田和男(ノンフィクション作家)

「悪しき事」を予知する「わざうた」はニワトリたちの唄にも

 本連載では、上古の日本において「悪しき事」を予知するとされた「わざうた」(「童歌」とも表記)を、「農をめぐる唄」の興味深い指標の一つとして、しばしば援用してきた。

 初回の「『帰らんちゃよか』は農への最後通牒?!」では、昭和30年代に始まる「農のはやり唄」の大ヒットは、その後、農の世界に起きる「悪しき事」をはからずも予知・警告していたと示唆。第6回の「カエルの唄にも『現代のわざうた』」では、やなせたかしが作詞した「手のひらを太陽に」に、田んぼの生きものたちの存続の危機を予知する重大なメッセージが隠されていたことを、さらに第8回「トンボは大国を夢見た小国日本の挫折の目撃者だった」では、農村に壊滅的疲弊をもたらした昭和恐慌下に生まれた童謡「赤とんぼ」が「特攻の悲劇」を予見していたことを指摘した。

 あらためて調べてみて、家禽として農の営みを支えてきたニワトリをテーマにした唄たちにも、「わざうた」を探し当てることができた。その歌とは、ひとつは

♪かごめかごめ かごのなかのとりは いついつでやる

の「かごめかごめ」。もう一曲は、

♪ひよこがね おにわで ぴょこぴょこ かくれんぼ

の「かわいいかくれんぼ」である。

ニワトリ

「遊戯」は明治の脱亜入欧教育のシンボル

 では、いまなおほとんどの日本人が口ずさむことができるこの2曲の国民的童謡が予見・予知していたものとは、いったい何だったのか?

 まずは「かごめかごめ」から検証にとりかかろう。

 この童謡は、すでに江戸中期~後期の文化文政時代には、全国各地の子供たちの間で、「鬼ごっこ」遊びのための歌として定着をみていた。そして明治の御一新が成るや、新政府は新時代の新教材としてこの「鬼ごっこの唄」に白羽の矢を立てる。明治20年代のことである。脱亜入欧に向けて「公教育は幼児から」の方針のもと、学校教育の近代的制度設計に着手した政府は、当時ヨーロッパで最先端とされたドイツのフレーベル(1782~1852)が主導・推奨する「遊戯」を導入。その教材とされたのが「かごめかごめ」をはじめとする伝承的わらべうただった。

 「遊戯」の当初の目的は、集団行動や規律を学ばせることにあったが、明治から大正へと時代が移ると大きな変化が起きる。にわかに吹きはじめた「デモクラシーの風」を受け、北原白秋や野口雨情らによる「童謡運動」や、土川五郎らの「童謡遊戯」が広まるなかで、「かごめかごめ」も音楽と身体による自由闊達な表現活動の一環として受容されていく。

「鬼ごっこの歌」は「鬼っ子」へ

 しかし、そうした子どもの感性や表現力を自由に育む手法としての「受容」は長くは続かなかった。

 昭和10年代に入って戦時体制が一気に加速。江戸時代から野外での自主的自発的な遊びのツールとされてきた「鬼ごっこの歌」は「鬼っ子」の扱いを受けることになる。

 ひとつには、短音階に基づく哀愁を帯びたメロディと歌詞が「国民の士気を下げる」と見なされたからである。いっぽうで、それとは対照的な長音階の明るいメロディにのった戦意発揚の「軍国童謡」がつくられてさかんに推奨される。たとえば、連載第23回「『富国強馬』の国策のもと100万頭の馬たちが戦場に散った」で取り上げた「めんこい仔馬」がその典型である(1940<昭和15>年、作詞:サトウハチロウ、作曲:仁木他喜雄、コロムビア)。

♪軍馬になっていく日には オーラ みんなで バンザイしてやるぞ

の歌詞が物語るように、軍歌だけでなく、童謡もまた「聖戦の推進者」にさせられていく。

 さらに「鬼ごっこの歌」が「鬼っ子」の扱いを受けたのは、メロディと歌詞が暗くて哀調を帯びているからだけではなかった。戦時下では、「少国民」である子供たちに対しても集団行進や防空訓練が強制され、路地にしゃがみこんで輪になって歌うという古来の「遊びの所作」が、何事にも規律が求められる戦時体制には「そぐわない」とみなされたからだった。その結果、「♪かごめかごめ~」の歌声はいつしか路地から消えていく。

 本田和子(児童文化学・教育人類学)らの研究によると、柳田國男の『こども風土記』(1942年)を下敷きにして、戦時下の集団生活や教育の中で「伝統的な子ども同士のわらべうた空間が解体されていった」と分析されている。

「後ろの正面」は政府と軍部のお偉いさん?

 路地に「♪かごめかごめ~」の歌声が戻ってくるのは、戦後の民主化政策のもとで「日本の純粋な伝承童謡・子供文化の遺産」として再評価され、ラジオ放送や教科書で再び全国的に親しまれるようになってからである。復員兵の子として敗戦直後に生まれた筆者もその輪に無邪気に加わったことを懐かしく思いだすが、幼児期ということもあって、この「鬼ごっこ遊び」をめぐって、戦中にかくも深くて長い断絶があったことに思いが至ることはなかった。

 しかし、すでに成人になっていた「かつての少国民」の何人かは、路地から再び聞こえてきた無邪気な歌声を耳して、こう気づかされたのではなかろうか。

 そうだったのか!「かごのなかのとり」とはいずれ徴兵で一兵卒か銃後を護る身となる私たち、そしてエンディングの「うしろのしょうめんだーれ」の「誰」とは、年端のいかない子供たちをも聖戦へと動員する策をこらした政府と軍部のお偉いさんたちだったのだと。

 当の日本国民が気づかなかっただけで、「かごめかごめ」は、〝除け者〟にされた自らの受難をもって、当時の日本が選択した戦争への道の末路を予知予言した「わざうた」だったのではなかろうか。

戦後日本のターニングポイントを予告

 では、ニワトリをめぐるもう1曲の国民的童謡「かわいいかくれんぼ」が予見・予知していたものとは、いったい何だったのか? その検証へと筆を進めよう。

 戦争が終わると、戦前の「少国民」のための軍国童謡とは決別した「戦後生まれの新しい子供の歌」をつくろうという気運が起き、新進気鋭の作家たちに制作依頼があいついで、多くの新作童謡が生まれる。「かわいいかくれんぼ」(作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直)はその一曲で、敗戦から6年後の1951(昭和26)年にリリース。子供たちにとっては「鬼ごっこ」と並ぶ昔ながらの遊びの定番の「かくれんぼ」をテーマにし、幼児にとってはメロディも明朗かつシンプルで覚えやすく、歌詞もユーモアがあって親しみがもてることから、童謡史上に残る名作との評価を不動のものにしていく。

 同年1月、NHKラジオの幼児向けの人気歌番組「うたのおばさん」(松田トシ、安西愛子らが担当)でお披露目されると、たちまち反響を呼んで繰り返し放送され、全国の家庭や幼稚園・保育所に広まり、現在まで歌い継がれているのは、けだし名作の証しといえよう。

 しかし、この童謡の評価はそれにとどまらない。じつは、戦後日本のターニングポイントとなるある重大な節目に警告と予告を発していたのである。

レッド・パージ始動

 この歌がNHKラジオの「うたのおばさん」から流される半年前、戦後日本に絶対支配者として君臨したマッカーサーの指令によって、「共産主義者」とみなされた人々の一斉解雇が始まる。いわゆるレッド・パージである。摘発対象はメディアや官公庁や大手民間企業に加え、教育現場や学術分野などに及び、全国で2万~4万人超の人々が解雇・解任。40人いた共産党の国会議員も次回選挙に立候補できずゼロとなった。

 敗戦直後から4年ほどは、GHQは戦後の民主化勢力の一翼として共産党を合法化、他方共産党はGHQを「戦後民主化の解放軍」と歓迎、両者は蜜月関係にあったが、やがてソ連・中国など東側諸国と米英など西側諸国が非和解的な敵対関係となる東西冷戦に突入、それが引き金になって1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発。広島長崎についで原爆の投下が検討される緊迫情勢を受けて、アメリカ国内で「容共主義者」を摘発するレッド・パージが始まり、それが日本へも及んだのだった。

 この「赤狩りの嵐」を起こした側とそれを真正面から受ける側の「渦中の両者」にとって、「かわいいかくれんぼ」は、「はからずもわが事を言い当てている」ことに驚かされたのではなかろうか。ちなみに「ほほえましくもユーモアがある」と受けがいい

♪どんなに じょうずに かくれても きいろい あんよが みえてるよ だんだんだあれが めっかった

のくだりは、GHQの要路からすると、「隠そうとしても〝黄色いあんよ〟ならぬ〝赤い氏素性〟が見えているから逃げられないぞ」という企図を言い当てられたとギクリとし、いっぽう戦後の民主的運動の主導者として共産党に共感を寄せていた人々にとっては「自分もやられるかもしれない、嵐はまだまだ吹き荒れる」と不安を掻き立てられたのではないか。

ニワトリからアヒルへ

 「かわいいかくれんぼ」の警告予告はこれだけではない。じつはレッド・パージの後に日本に何が訪れるのかを予言していたのである。それを知ったら、すでに日本を去っていたマッカーサー元帥も驚いたのではないか。

 予言の主は、この童謡の主役の「ひよこ」である。

 一般には「ひよこ」は成長してニワトリになるが、「アヒルの子」も「ひよこ」と呼ばれる。どちらになるかで「ひよこ」の未来は大きく変わる。

レッド・パージ以前は、「ひよこ」は成長してニワトリとなり、食糧メーデーでは「米よこせ。朕はタラフク食ってるぞナンジ人民飢えて死ね」と〝鬨の声〟を上げるなど、鬱積した国民の憤懣の受け皿となり、直後の総選挙では国会議員を5人から35人も当選させる大躍進をとげる。

しかし、レッド・パージで共産党系の組合指導者たちが失職すると、「ひよこ」は危険が伴うニワトリではなくアヒルになる道を選ぶ。その背後にはGHQによる画策があったとされるが、より温和な社会党系の民主化同盟が母体となって労働組合のナショナルセンターとして総評(日本労働組合総評議会)が誕生。その後日本のあり方を大きく変えることになる。

当局に対して労働者の権利を要求して大声を上げる「ニワトリ」から、水面下で脚をかいて当局とディールをして賃上げの「実」を取る「アヒル」へ。この労働運動の主役交代はその後「ニワトリからアヒルへ」と呼ばれ、これにより日本独自の企業内組合を基盤とした労使協調システムが確立。日本は空前絶後の高度成長への道をひた走ることになる。

「かわいいかくれんぼ」は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」へ向けた戦後レジームの大転換を予知していたのである。

いまなおほとんどの日本人が口ずさむことができるニワトリをテーマにしたこの2曲を、「たかが童謡」と侮ってはならない。戦中は「戦争への道の末路」、戦後は「高度成長の到来」を予見・予知していたとは、「たかが童謡」に内在する「わざうた効果」たるや恐るべし、である。


著者:前田 和男(ノンフィクション作家)

1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『「カチューシャ」とウクライナ戦争 いま甦るプーチンの〝笛吹き歌〟』(彩流社)、『冤罪を晴らす 食肉界の異端児の激闘20年』(ビジネス社)ほか。

*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌ではその内容を一部要約してお届けします。

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