『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではそれをまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。
前田和男(ノンフィクション作家)
農村を襲った人口急増と食糧増産の圧力
前回は、馬の巻のその2として、郵便馬車をテーマにした二つの歌曲――「あこがれの郵便馬車」と「トロイカ」が日本の戦後復興の飛躍台となったことを縷々検証した。しかし、それは人間が人間の都合に合わせて馬たちをモデルにした「夢物語」であって、当の馬たちからすると、絵空事(フィクション)でしかなかった。現実(リアル)の馬たちは夢や希望を運ぶどころか、戦後復興という国をあげての過酷な試練へフル動員されることになった。
日本が戦争モードに入るのは1931(昭和6)年の満州事変による大陸進出からとされるが、1945年の敗戦までの14年間の農業従事者数は1300万人台で推移。それが、公的な統計が可能になった敗戦1年後の1946年には1849万人と、1940年と比べると36%超も急増する。

これは、戦時における都市の被災と食糧不足で引き起こされた農村への人口逆流(疎開)に加え、戦後に500万人を超える外地からの引揚者の多くを農村が受け入れざるをえなかったからである。
しかし敗戦直後の農村の基盤をゆるがしたのはそれだけではない。急増した帰農者を養ういっぽうで、国民の飢餓状態を救うために農産物の増産が求められたのである。この二重の艱難には人間だけではとうてい立ち向かえなかった、それができたのは、ひとえに馬たちの下支えのおかげだった。
耕耘・運搬・施肥で農村を支えた
当時の日本の農村はいまだ機械化から遠く遅れた状況下にあって、田畑を耕し物資を運ぶ流通を担ったのは馬たちだった。
さらに馬たちは重要な役割を果たした。戦争で荒廃した農地に有機肥料を供給したのである。1939(昭和14)年に戦争遂行を最優先させるべく始まった統制経済政策によって、化学肥料の生産は制限されて十分な供給ができなくなった。それは戦後の占領期も続き、重工業の再建を優先させるために化学肥料の生産・供給が規制される。それが段階的に解除されるのは1950(昭和25)年前後から、それまでの間、田畑の地力の維持涵養はもっぱら牛馬の厩堆肥頼みで、それが戦後の食糧難を支えたのだった。
このように耕耘・運搬流通・施肥の3分野での馬たちの大活躍があったからこそ、戦後日本の奇跡の復興は成ったといっても過言ではない。
これは、戦争を挟んだ馬の飼育頭数の推移からも明らかである。
ちなみに満州事変に始まる戦時体制下の十数年間はおよそ150万頭の馬たちが飼育されていた。前回紹介したようにその間に50万~70万頭を外地の戦場への徴発で失いながら、戦後も10年ほどは100万頭超で推移していたことが、そのなによりの証しであるろう。

戦後歌謡にも描かれた「馬と嫁入り」
こうした戦後復興を支えた馬たちの活躍ぶりは流行歌にも描かれ、その多くが国民的愛唱歌になった。それは、戦後日本の農村と農業が馬たちに支えられ、それに都市部の人々も共感をおぼえたことを物語っている。
以下に、その代表事例を制作年次順に挙げてみる。
まずは1955(昭和30)年の「りんどう峠」(唄:島倉千代子、作詞:西条八十、作曲:古賀政男)である。そこには、農村のハレの伝統行事を馬たちが下支えした光景が次のように歌われている。
♪りんりんりんどうの 花咲くころサ
姉サは馬コで お嫁に行った
「馬と嫁入り」は、すでに戦前生まれの童謡「雨降りお月さん」(作詞:野口雨情、作曲:中山晋平、1925〈大正14〉年)で、こう歌われている。
♪お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
シャラ シャラ シャン シャン 鈴つけた
お馬にゆられ濡れてゆく
「りんどう峠」は、馬が演出する古き良き農村の風物詩が、戦争をはさんで30年も変わらずに続いていることの証左でもあった。

馬をテーマにした最後のヒット曲「達者でナ」
馬たちの多くは馬産地で飼育され、全国各地の個々の農家に買われていく。そのために交通の要衝には「馬市」が立つ。それは鎌倉時代から始まったとされるが、近隣から多くの人々が集まり、「馬に乗った嫁入り」以上に農村の風物詩であった。
1957(昭和32)年に発表された「柿の木坂の家」(唄:青木光一、作詞:石本美由起、作曲:船村徹)には、それがこう歌われている。
♪春くりゃ 偲ぶ 馬の市
秋くりゃ 恋し 村祭り
舞台となったのは、作詞家の石本美由起の出身地である広島県廿日市市の明石峠(汐見峠とも)とされるが、備後(広島)は江戸時代から馬の売買が盛んで、伯耆(鳥取)の大山、越後(新潟)の柏崎椎谷、奥州(福島)の白河などとともに日本の代表的馬市の一つとして栄えた。
「柿の木坂の家」からさらに2年下った1960(昭和35)年には、「達者でナ」(唄:三橋美智也、作詞:横井弘、作曲:中野忠晴)がリリースされ、馬市で競りに出される馬との別離が哀切をこめてこう歌い上げられている。
♪わらにまみれてヨー 育てた栗毛
今日は買われてヨー 町へ行く
オーラ オーラ 達者でな~
「達者でナ」が発売された時期は、折しも農作業の「動力」が馬から各種農業機械にとって代わられると同時に、高度成長期に入って集団就職や出稼ぎで農村からの人口流出が急増する時期にあたっていた。
農村から大都会に出てきた人たちは、「達者でナ」によって、馬たちとの暮らしを懐かしく思い出すとともに、「売られていく馬」と「故郷を捨てざるをえないわが身」が重なる複雑な感懐をおぼえ、それがこの歌を流行歌に押し上げたのではないかと推察される。
このころから戦後復興を終えた日本は高度成長へ邁進。農村人口は都市へ大量流出して急速に減少。これとほぼ歩調を合わせるように、農村では1955(昭和30)年ごろから動力耕耘機の本格的導入が始まり、1960(昭和35)年代以降はトラクタや軽トラックの購入が激増。これに加えて1950年代から硫安や過リン酸石灰、化成肥料(と農薬)の生産が進み、その使用が一気に拡大していく。
その結果、1960年代には、耕耘・運搬流通・施肥の3役を一手に引き受けていた「役畜」としての馬は、その歴史的な使命を終える。そして、「達者でナ」もまた馬をテーマにした戦後ヒット歌謡のラストソングとなるのである。

農業機械化の鬨の声?
馬にかわる農業の下支え役の交代のなかで、もっとも躍進が著しかったのは農業機械だった。
敗戦の2年後の1947(昭和22)年、後に日本を代表する農業機械メーカーとなる旭産業(現・クボタ精機)が設立され耕耘機の試作第1号機が完成。当初はさっぱり売れなかったが、1960(昭和35)年には同社だけで74万台超を販売。同業他社の販売数を合算すると多くの農家が耕耘機を常備するまでになる。
戦後しばらく春先の田畑では耕起・砕土・代かきに人馬一体でいそしむのどかな農作業風景が見られたが、それが一変。馬たちのいななきに代わって、人があやつる耕耘機のせわしげなエンジン音が響き始める。
この農村風景の様変わりとともに、馬をテーマにした歌謡曲は1960年リリースの「達者でナ」をもって姿を消し、それと入れ替わるように農業機械の台頭を象徴する、こんな歌詞で始まる歌が全国のお茶の間に届くようになる。
♪ぼくの名前はヤン坊、ぼくの名前はマー坊~
クボタ、井関とならぶ農業機械御三家の一つヤンマーディーゼル(現・ヤンマーホールディングス)提供の「ヤン坊マー坊天気予報」の導入歌である。
これが始まったのは 1959年6月1日の気象記念日で、2014年3月31日まで55年にわたり放映。数多ある日本のCMソングのなかでもっとも知られている一曲といっていいだろうが、この歌こそ、日本の農業にとっては機械化の本格的到来を告げる「鬨の声」であるいっぽう、馬たちにとっては「役畜」としての歴史的役割の終わりを宣告された「送別の歌」であった。
リタイア後は「牛頭馬肉」のコンビーフに
では、歴史的退役を余儀なくされた馬たちはその後、どうなったのか?
今一度、前掲のグラフをご覧いただきたい。馬たちが「役畜」からお役御免になった1960年にはいまだ70万頭ほどが飼育されていた。それが10年後の1970年には10万頭を切るまでに一気に激減。一般に馬の寿命は20~30年とされる。ということは、リタイアした馬たちの多くは余生を全うできなかったのではないか?
と、半世紀以上も前の、大学時代のコンビーフをめぐる思い出がよみがえった。少々値段ははったが、台形の缶の下部をくるくると捲き上げて開ける機構に興味をおぼえ、仲間たちと食した。脂肪で固められた肉塊が口のなかでとろりと融けてじつにうまい。思わず「さすがビーフだ」とうなると、友人の一人が、成分表示を見るなり「なにがビーフだ、羊頭狗肉ならぬ牛頭馬肉じゃないか」と言ったのである。
改めて調べてみると、興味深いことがわかった。
食肉商社大手の野崎産業(現・川商フーズ)のホームページによると、同社は1961年に馬肉を中心にした雑肉を主原料にした「ノザキのニューコンビーフ」を発売。しかし2005年のJAS法(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)の改正により、牛肉100%の製品しか「コンビーフ」を名乗れず、それ以外は「コーンドミート」と表記するように定められた。そこで翌2006年3月の法律施行にあわせ、「ノザキのニューコンミート」と名称変更されたという。
だとすると、1960年代にリタイアした馬たちが国産コンビーフの材料になったという仮説は十分に成り立つ。
馬産地では今でも馬刺しが食されるいっぽうで、馬肉は安価な食肉としてソーセージのつなぎなどの加工食品の原料にもなっている。それ以外の馬肉のうちどれぐらいが「コンビーフ」の材料になっていたかは、具体的なデータがないので同定できないが、1960年代以降、役畜の役を終えた多くの馬たちが余生を送れなかったのは事実であり、そのうちの相当数が「コンビーフ」の原材料になった可能性は排除できない。
馬たちから、こんな哀切な恨み節が聞こえてくる。
農業を下支えして戦後日本の奇跡の復興に貢献したのに、お役御免になったら処分されてコンビーフとはあんまりではないか。人間の世界では忘恩の輩を「どこの馬の骨か」とさげすんでいるようだが、こう返したい。「われら馬たちから受けた大恩を仇で返すとは「どこの人の骨か」と。
著者:前田 和男(ノンフィクション作家)
1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『冤罪を晴らす 食肉界の異端児の激闘20 年』(ビジネス社)、『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。
*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌ではその内容を一部要約してお届けします。