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【唄は農につれ農は唄につれ 第28回】日本の外食革命の到来を告げた二つの食肉CMジングル

『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではそれをまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。

前田和男(ノンフィクション作家)

アメリカ発「15秒の狙撃兵」の最強兵器

 歌――とりわけ大衆のための「はやり歌」の場合は、1番から3番、ときには4番までの起承転結の物語(ストーリー)が共感をもたらし、ヒットの成否を分ける。たとえば2回にわたって取り上げた、いずれも牛をテーマにしたジョーン・バエズの「ドナドナ」も、高峰秀子の「銀座カンカン娘」も、もし1番だけだったらメッセージが一般のオーディエンスには届かず歴史に残る一曲にはならなかったろう。

 しかし、レアではあるがその真逆のケースが存在する。

 1番どころか、わずか10文字程度のシンプルなフレーズを同じくシンプルなメロディに乗せて人々の心をつかんで時代を変えてしまうことがある。あまりにも短すぎて「歌(ソング)」や「曲(メロディ)」という名称がなじまないこともあってか、音楽業界では「ジングル」と呼ばれる。由来は中世英語で「軽い金属音」を表わす擬音jinglen とされる。

 嚆矢は1926年12月、アメリカはミネアポリスのラジオ局で流された商品CM。30年代に入ってラジオ全盛期が到来、ペプシコーラがジングルを使って大ブレイクしたことで、「新時代の広告宣伝手法」として世界中に広まるようになる。

 日本では1960年代の高度成長期に多用され、テレビ黄金時代に入ると、CMはその短さから「15秒の狙撃兵」と呼ばれるようになるが、その最強兵器とされたのがジングルだった。

〝食の文化大革命〟の到来を告げる「鬨の声」

 これまでに数多くのジングルが生み出され、お茶の間に「ランドスケープ」ならぬ新しい「サウンドスケープ(音風景)」をもたらしたが、そのなかでも、戦後日本の食肉文化の革命歌として、いまもなお多くの日本人の記憶に残る二つの歴史的ジングルがある。

 最初のそれは、翌年で銀座の赤煉瓦街が誕生して100年を迎える節目の1971(昭和46)年、「もっとも銀座らしからぬ」と世間をさわがせた事件から誕生した。

 4月2日、東京のど真ん中の銀座3丁目角の老舗百貨店1階にアメリカから上陸したハンバーガーチェーンの1号店がオープン。かけそば1杯が100円の時代に売り出されたハンバーガーの値段は1個80円。しかも手づかみで歩きながら食べるという作法は、日本人にはなじまないという大方の冷ややかな声を裏切って、1万人が押しかけ、早くも初日で大当たりをとる。若者たちが行列をつくる社会的事件に世間の耳目が集まるなか、しばらくして全国のテレビのブラウン管からお茶の間へ向け、白化粧に赤い鼻のピエロが愛嬌をふりまく映像とともに、こんなジングルが流れはじめる。

♪おいしいことばは一つだけ 世界のことばマクドナルド

 これぞ、明治の脱亜入欧による洋食の登場から100年を経て起きた、ファストフードという名の〝食の文化大革命〟の到来を告げる「鬨の声」であった。

 この革命を仕掛けて見事成就へ導いた男とは藤田田。終戦後の混乱期、東大法学部在学中から進駐軍の通訳で培ったコネと語学力をフル活用して雑貨輸入で大成功。世界のマクドナルドと出資率フィフティフィフティの合弁会社を設立した、戦後日本の立志伝中の人物である。

マックを推進役に世界第二のファストフード消費国に

 じつはアメリカのマクドナルド本社は、「車で行ける都市郊外が最適」というマーケティングの基本方針にもとづいて、日本上陸1号店は神奈川県茅ヶ崎市に白羽の矢を立てていた。それを藤田は「日本では文化は一点に集中する」と銀座の中心にこだわって一歩も引かなかった。銀座がもつ「場の力(オーラ)」を確信していたからだろう。そして、自ら三越銀座店と交渉、1階のショーウィンドウとその奥の財布売り場を借りる契約を取り付けるのである。

 はからずも向かいは、終戦直後、進駐軍にPX(米軍専用の生活用品販売店)として接収された和光。GIたちがハンバーガーを食べながら片腕に日本女性を抱いて闊歩するのを、通訳として苦い思いで眺めた往時が思い出されて、藤田の脳裏には「東京の花売り娘」(1946年、作詞:佐々詩生、作曲:上原げんと、歌:岡晴夫)の一節がよぎったかもしれない。

♪粋なジャンパーの アメリカ兵の 影を追うよな 甘い風 ああ 東京の花売り娘

 しかし、その屈辱の回想は、あれよあれよという間に若者たちの胃袋と脳に浸透していく、

♪おいしいことばは一つだけ 世界のことば マクドナルド

 によってかき消されていくのを目の当たりにして、感慨はひとしおだったろう。

 このジングル効果もあいまって、アメリカ発で日本初のハンバーガーチェーンは若者たちの支持を得て、日本上陸11年後の1982(昭和57)年には、ついに外食産業のトップに躍りでる。その後もマックは全国各地に店舗を広げ、それを推進役に、日本はアメリカに次ぐ世界第二のファストフード消費国となっていくのである。

外食産業の急成長を和風味で力強く支えた吉野家の牛丼

 しかしアメリカ発の食肉文化革命のジングルに対して、どっこい、〝国産〟のそれも負けてはいなかった。

 マックの銀座1号店がオープンする3年前の1968年、チェーン化に向けて旗艦店を新橋に出店させた吉野家である。それに続いて1970年には、同じく〝国産〟の外食チェーン「すかいらーく」と「ロイヤルホスト」が名乗りをあげた。しかし、この2社は国産勢ではあったが、洋風メニューを提供するという点でアメリカ発のファストフードの忠実な追随者であった。だが、吉野家は「牛丼」という和の伝統食をファストフード化にチャレンジしたという点で、追随者でなく革命者であった。

 その進軍ラッパとなったのが、テレビからお茶の間へ流された

♪牛丼一筋80年

 のジングルだった。

 そもそも牛丼は明治の文明開化のシンボル「牛鍋」がルーツで、その後は長い間、東京のソウルフードのままであった。それが1970年代の外食産業の幕開けの主役の一人となったのは、素材の牛肉が国産のバラ肉から、アメリカ産牛肉のショートプレート(SHORT PLATE)に切り替えられたことにある。

 ショートプレートとは、リブ(あばら)の下にある第6肋骨から第12肋骨までのバラ肉である。当時のアメリカでは、肉質が硬く脂肪が多いことから牛脂除去に手間がかかり、ハンバーガーの材料には向いていないため敬遠され、「くず肉」扱いを受けていた。

 だが日本では、薄切り肉をタレとともに煮ることによって牛脂が分離して除去が簡単にできるうえに柔らかくなり、タマネギと適度にからんで味付けされると「丼もの」や「すき焼き」の旨味が増すことが知られるようになって、急速に需要が拡大する。

 これに吉野家の創業者の松田瑞穂が着目、三井物産と組んで素材のショートプレートをアメリカから輸入してオリジナルメニューとして発売すると、他の牛丼チェーンも追随。一大ブームを巻き起こして、いちやく牛丼を「国民食」に押し上げたのである。

食の伝統の破壊者に「伝統の食」で対峙

 1970年代は「日本の外食産業の革命的飛躍の10年」だった。

 70年は2.4兆円だった市場規模が、翌71年3.2兆円、75年8.6兆円、80年14.6兆円、97年29.1兆円と、30年たらずで10倍超の急成長をとげる。それを先頭で牽引したのは世界のマクドナルドだったが、これに日本オリジナルの食文化で対抗、そのシナジー効果で日本の外食産業の革命的飛躍を下支えしたのが吉野家だった。

 アメリカでは見向きもされない牛肉の部位を利活用して、アメリカ生まれのハンバーガーを迎え撃ったのは大いなる快挙であり、さらに食の伝統の破壊者であるファストフードの雄に対して「伝統の食」をもって対峙したのもじつにドラマティックだった。

 マクドナルドもそうだが、今も昔も、ジングルには短いメロディに乗せたブランド名や社名を織り込んで反復し、視聴者の記憶に刷り込むのが「常道」である。ちなみに

♪ミルキーはママの味
♪明治ブルガリアヨーグルト
♪酒は大関心意気

 など、多くの日本人の記憶に残るジングルの名作は、すべて社名とブランド入りの同工異曲ばかりである。

 ところが、吉野家は社名はうたわず、

♪牛丼一筋80年

 と、同業他社も扱っている一般名詞の「牛丼」を愚直に訴求。伝統の食の破壊者であるファストフードの旗手でありながら逆に伝統にこだわる――この逆説の物語(ナラティブ)が日本人の琴線にふれ、吉野家は日本における〝食の文化大革命〟の旗手になれたのではなかろうか。

 こうして伝統の食へのこだわりによって急成長した吉野家は、その勢いを駆ってファストフード発祥の地へ逆上陸する。日本での本格デビューからわずか2年後の1975年2月、看板メニューの「牛丼」を「Beef Bowl」の名でひっさげてコロラド州はデンバーにアメリカ1号店をオープン。79年にはカリフォルニア州にロサンゼルスへ展開。ローカライズ・メニュー「テリヤキチキンボウル」を開発するなど地域密着型の事業を推し進めた。

 アメリカ生まれのハンバーガーを伝統食「牛丼」で迎え撃ったドラマは、太平洋を超えて続けられたのである。

アメリカでのBSE感染牛で明暗分ける

 しかし、そんな両者の拮抗関係は、2003年12月末で明暗を分ける。

 アメリカでBSE感染牛が発覚。日本政府はアメリカ産牛肉の全面輸入禁止を決定。これにより安価なアメリカ産牛肉の「くず肉」に支えられた牛丼は存亡の危機に直面する。

 吉野家以外の「すき家」などの牛丼チェーンは、こぞって穀物肥育のアメリカ産バラ肉(ショートプレート)をコストの低い牧草肥育のオーストラリア産などに切り替える戦略をとった。だが、吉野家はあくまでもアメリカ産にこだわった。2004年1月1日、「牛丼の特盛りの発売を中止し豚丼を代替メニューとする」と発表。吉野家にとって、オーストラリア産牛肉にシフトした牛丼は「元祖牛丼」ではない。吉野家が掲げる「牛丼一筋80年」は「アメリカ産バラ肉丼一筋80年」でなければならなかったのである。

 この伝統の食へのこだわりによって、倒産をも覚悟しなければならない試練と受難が待ち受けていた。2004年度には、1968年に多店舗展開を始めて元祖牛丼を世に送りだして以来守り続けてきたトップの座を二番手の「すき家」に譲り渡す。かくして、

♪牛丼一筋80年

 のジングルはテレビ画面から消え去り、

♪おいしいことばは一つだけ 世界のことば マクドナルド

 は生き残る。

 マクドナルドは、グローバル企業として、1986年に英国でBSE牛が世界で初めて特定された事件の洗礼を受けていた。当時の英国ではハンバーガーに牛の脳を混入することが許されていたため、BSE感染疑惑をもたれて売り上げが激減。これを契機に調達ルートの変更を行なうとともに、ナゲットやポークリブといった牛肉以外の多様なメニューを開発して業態の多角化を進めてきた。ちなみに当時の日本マクドナルドの牛肉への依存率は3割弱に過ぎず、ハンバーガーの材料の牛肉も「豪州産100%」に切り替えられていた。そのおかげで、日本政府による突然のアメリカ産牛肉禁輸措置に対応できたのである。

 いっぽうの吉野家は「豚丼」に切り替えて〝冬の時代〟を耐えしのぎ、2008年にアメリカ産牛肉の「元祖牛丼」を復活。牛丼業界2位を維持して現在にいたっている。

「過去の栄光の物語」を「未来への処方箋」へ

 ハンバーガーと牛丼という日米を代表するファストフードをめぐる二つのジングル合戦は、国産の挫折で終わって四半世紀が過ぎた。

 この二つのジングルを含めて、テレビの黄金期に量産されたジングルは、いまどうなっているのか。改めて検証してみた。

 ここ数年、テレビやラジオから流れていて記憶に残っているジングルを思いだそうとしたが、すぐには浮かんでこない。ひょっとすると、もはやジングルは広告宣伝の手法としてはアウトオブトレンドなのか。そう思って、民放のテレビを半日ほどつけっぱなしにしてCMをウォッチしてみたところ、これまでどおり頻繁に使われているではないか。しかし、どこかで聞いているのかもしれないが、どれもこれも記憶にないし、もちろん口ずさむこともできない。

 そこで、なんとか記憶に残っていて口ずさめるジングルを呼び起こしてみたところ、先ほど挙げた

♪ミルキーはママの味
♪明治ブルガリアヨーグルト
♪酒は大関心意気

 に加えて、

♪カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂
♪セブンイレブンいい気分
♪贈り物には石鹸、資生堂石鹸

 などが口をついて出たが、いずれも30年、いや50年以上も前のものばかりだ。

 これは何を意味するのか?

 相変わらずジングルは、現在も「15秒の狙撃兵」と言われるCMの最強兵器として使われていて、メロディもキャッチコピーもそれなりに完成度が高い。しかし、商品自体に魅力とパワーがないために記憶に残らないだけなのではないか。

 思えば、ハンバーガーも牛丼も登場したときの衝撃力はものすごかった。トレンドセッターである往時の若者たちはいくら並んでも食べたいと思った。だからこそ「世界のことば マクドナルド」も、「牛丼一筋80年」も、半世紀以上たった今も多くの日本人が口ずさむことができるのだろう。

 すでに述べたように、マックのハンバーガーと吉野家の牛丼が覇を競った1970年代は「外食産業の革命的飛躍の10年」だった。市場の売り上げ規模は2.4兆円から14.6兆円へと6倍にも跳ね上がった。

 これを裏返せば、記憶に残るジングルが生まれないのは、バブルがはじけてからの日本の失われた30年のなせるわざといえるのもしれない。ということは、日米を代表する二つのファストフードをめぐるジングル合戦は、「過去の栄光の物語」ではない。日本の再生の手がかりをつかむための「未来への処方箋」でもあるのではないだろうか。


著者:前田 和男(ノンフィクション作家)

1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『冤罪を晴らす 食肉界の異端児の激闘20年』(ビジネス社)、『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)など。

*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌ではその内容を一部要約してお届けします。

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