『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではそれをまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。
前田和男(ノンフィクション作家)
歴史的凶作でタイ米を緊急輸入
「米騒動と歌」の巻の初回は1918(大正7)年に富山は魚津の浜の女たちが火をつけた「元祖・米騒動」、2回めは敗戦直後の「米よこせ騒動」について、それを煽りたてた歌たちによって検証を試みた。
最終の今回は、1993(平成5)年と2024(令和6)年に始まった二つの「米騒動」とそれを賑やかした歌たちを取り上げる。
まずは「平成の米騒動」から――。

これは、不足した米がタイから大量緊急輸入されたことによって引き起こされたため「タイ米騒動」とも呼ばれた。
その直接的な主因は、歴史的な冷夏と長雨による「歴史的凶作」にあったが、そもそもの誘因は2年前の91年、フィリピンのピナツボ火山の大噴火がもたらした地球規模の気候変動によるものだった。梅雨前線が長期間停滞し、日照不足で夏でも気温が上がらず、イネの生育に深刻な影響を与え、通常は100前後とされる「作況指数」が、全国平均で「著しい不良」とされる74にまで低下、とりわけ東北太平洋側の青森・岩手・宮城のそれは20~30台と壊滅的な状況に陥った。
それにより、前年の92年は1054万tだった全国の米の収穫量は771万tと3割も激減。現在の国民の米消費量は700万t前後だが、30年前の当時は、長期漸減傾向にありながらも米はいまだ抜きんでた主食としての地位に君臨していて、年1000万t以上が必要とされていた。

このグラフには入っていないが、平成の初め頃(1990年頃)は年間需要量が1000万tを超えていた
出典:「米の消費及び生産の近年の動向について」農水省 2024年8月
https://www.maff.go.jp/j/council/seisaku/syokuryo/240827/attach/pdf/240827-3.pdf
したがってこの平成の米騒動では、200万~250万tもの米が不足したため、政府は同量の緊急輸入を決断。当初は日本人の好みにあう中国産か米国産が第一候補に擬されたが交渉が難航。最優先で応じてくれたのがタイ政府だったため、不足分はほとんどタイ米で賄われることになった。しかしタイ米は長粒のインディカ米で、日本人の食事と嗜好には合わず、国民のあいだから不満が続出。「寒天を入れると美味しくなる」という噂が広まって、寒天が品薄になる珍事まで招いた。
政府は苦肉の策として、タイ米と日本米の「セット販売」を推奨したが、しばしばタイ米だけが公園に捨てられる嫌われようだった。
当時筆者は、昼は近くの飲み屋で焼魚定食を注文するのを日課にしていたが、ご飯との相性の悪さに、カレーに切り替えたことを今でも覚えている。
巷間では、75年にリリースされて以来、ロングセラーを続けていた「およげ!たいやきくん」(作詞:高田ひろお、作編曲:佐瀬寿一、歌:子門真人)を元歌にして、こんな歌詞の替え歌が口ずさまれていたという。
♪炊いても炊いてもパサパサ タイ米~
においもなんだか タイ米~
日本の米が恋しいよ~ でも食べなきゃもったいないよ~
「お米ありがとう音頭」はタイ米への「惨歌」に
そうこうするうちに、年が明けて94年6月に入って沖縄の早場米が出回ると、スーパーの米コーナーの棚が開店と同時になくなる騒動は沈静化。夏は前年とはうってかわって猛暑となり、全国的に豊作との予想がでると、平成の米騒動は一気に終息する。すると、タイ米へのつれない仕打ちが待ち受けていた。
日本経済新聞(94年9月10日付夕刊)は、「国産米が大豊作、不人気のタイ米は? 行く先、古米かエサか」の刺激的な見出しを掲げ、東京は神楽坂の創業45年の老舗精米店の主人のこんなコメントを紹介している。「捨てるしかないね。約150kgのタイ米が積んである。もったいないが仕方がない。1kg200円台で仕入れたのに月を追って下がり、40~50円値、さらに10円でも売れなくなった」
平成の米騒動とは、タイの政府と米農家からすると、長年来の友好国なのでいの一番に助けてあげたのにその恩を仇で返された「想定外の受難劇」であった。
いったい平成の米騒動とはなんだったのか? それを象徴する、いずれも当時はよく知られた2曲の歌がある。
一つは、前年の92年にリリースされた「お米ありがとう音頭」(作詞:平山忠夫、作曲:望月吾郎、歌:岸千恵子)。もう一つは、米騒動の真っただ中の94年に発売された「タイ米ブルース」(作詞作曲・歌:豊田勇造)である。
前者の「お米ありがとう音頭」は、全国農業協同組合中央会(JA)と農水省の肝いりによる「お上御用達ソング」で、狙いはアメリカをはじめとする米の自由化圧力を押し返すべく国民の「米愛着意識」を高めることにあるのは、以下の出だしの歌詞からもあきらかである。
♪ごはんだ ごはんだ ヨイヨイヨイヨイ
米と言う字は 八十八の
手間がかかると 教えた文字だ(アソレ)
そうよ農家が 丹精込めて
とれたお米は 宝だよ(アソレソレソレ)
この手の官製プロパガンダは一般からは敬遠されるのが世の習いだが、これは例外だった。「日経流通新聞」(92年9月3日)は、「役所や団体まで踊る お米ありがとう音頭」異議申し立ての見出しを掲げて、こう報じている。「(4月発売から)7月までに1万枚を突破したという。この数字について、発売元の東芝EMIでも、『こういった企画では異例のこと』と驚いている。紅白歌合戦にも出演した岸の人気にもよるようだが、やっぱり『お米』に関する歌は、日本人の心の琴線に触れるのかもしれない」
想定外の売れ行きもさることながら、より想定外だったのは、本来は米自由化阻止へむけた「お米賛歌」だったはずが、翌年には「やっぱり日本のお米が最高」という「タイ米への惨歌」になったことだった。
異色フォークシンガーによる異議申し立て
平成の米騒動の実相と本質を象徴するもう1曲は、その真っただ中に発表された「タイ米ブルース」である。作者兼歌い手は、大阪出身でタイにも活動拠点をもちタイ語でもうたう異色フォークシンガーの豊田勇造。タイ米の受難劇に憤りを覚え、こんな歌詞で始まる異議申し立てを行なった。
♪くさいまずいとののしられ
カルフォルニアには見下され
たまにはセットで買われても
減っていくのは国産ばかり
前掲の「行く先、古米かエサか」の見出しを掲げた日本経済新聞夕刊の記事も、タイ米を襲った理不尽な惨劇を記して、最後を豊田の「タイ米ブルース」の次のエンディングで結んでいる。
♪故郷じゃ子供が泣いている
腹が減ったと泣いている
本当はあの子に食べられたい

公式ウェブサイトより http://toyodayuzo.net
「故郷」とは、もちろん日本に米を緊急供出してくれたタイの貧しい農村である。
なお豊田は、60年代後半、ベトナム反戦運動を盛り上げた岡林信康ら関西フォークの旗手の一人として注目され、その後は、南ベトナムの政治犯釈放と孤児救援のため、ベトナム戦争終結後は、韓国で言論弾圧を受けて投獄された詩人の金芝河の救援、さらに2011年の東日本大震災後はその支援ライブをつづけている。
さて、この2曲が物語るように、平成の米騒動は、なんのことはない「タイの米はまずい、おいしい日本の米がまた食べられるようになってよかったね」で落着した。唯一、政府が学んで形にして残したものは、「備蓄米制度」の創設だったが、皮肉なことに、これが30年後に混乱の元になるのである。
「令和の米騒動」はシステムの機能不全
それでは、平成の米騒動から三十余年後におきた「令和の米騒動」の検証へと筆を進めよう。「騒動」が兆し始めたのは、昨年の2024年6月から。スーパーなどで、ここ数年5kg2000円前後で推移してきた国産米が、2200円超と値上がり基調に入った。
さらに、8月には南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が出され、これが「買い占め心理」を刺激して米不足と価格高騰をうながすことが予想できたにもかかわらず、政府は備蓄米の放出を行なわなかった。そうするうちに年が明けて、25年1月に南海トラフ地震の確率が「80%程度」に引き上げられると、米の値段は5kg4000円超と半年前の倍にハネ上がる。ここにいたって政府はようやく「備蓄米の放出」を発表するが、消費者にそれが届くまでにさらに半年以上を要して、新米が出れば価格は落ち着くという説もあったが、いまだその気配はない。この先も不透明感が続きそうだ。
では、この出口が見えない状況をどうすれば突破できるのか?
政府の後手とダッチロールは、その原因を30年前の平成の米騒動の延長線上の「量の不足」だと考えているところにある。真の原因は、生産から流通・消費にいたる「米をめぐるシステム全般の機能不全」――すなわち長年の減反政策による生産抑制 、農業従事者の高齢化 、自由化で複雑化した流通構造とインバウンドによる需要の変動に対応できずに陳腐化したサプライチェーン――にあった。作柄不良による「米不足」は、真因である「システムの機能不全」の「結果」であり、それに警鐘を鳴らすシグナルだったのに、それを「原因」ととりちがえてしまったのである。
「令和の米騒動」を奇貨として、いまこそ抜本的な構造改革をはかるべきなのに、それを放っておいて、「これからは米の生産を増やして余ったら輸出すれば一石二鳥で日本の農業は再生する」と、能天気な主観的政策を打ち上げて悦に入っている。
政府の無策無能を軽妙に揶揄した替え歌
そんなお上の無策無能な能天気ぶりを軽妙に言い当てたのが、異色声色タレントの清水ミチコがテレビ番組などで披露した2曲の替え歌だった。
一つは、アダモの「雪が降る」をパロった「米がない」。
♪米がない あなたは古米
仕方ない 私古古米 味悪くない
値段高くない 文句言わない
ただこれから しばらく古米
いくら待っても 白い新米 夢みるだけ
古米 古古米 増えてゆきます
古古米 古古古米 古古古古古古古米
エンディングの「古」の連弾は、備蓄米が私たちの手元に届くまでのもどかしさを思い出させて、秀逸である。
もう一曲は、八代亜紀の「舟唄」のパロディソング「米唄」だ。
♪ お米はもらったものがいい
もとから買ったことがない
売るほどたくさんあるがいい
大臣無口な方がいい
しみじみ聞けば しみじみと
発言どれもまずすぎる
まさかの令和の米騒ぎ
自白するよにスラスラと
清き一票と米農家の一俵と
農林水産省 ふたつとももらう 断腸ネ~
いうまでもなく、「米を買ったことがない」発言で更迭された農水大臣を皮肉った絶妙なパロディソングである。
◆ ◆ ◆
さて、ここまで、1918(大正7)年盛夏に始まった四つの米騒動を同時代の歌たちによって検証してきた。思えば、富山は魚津の浜の女たちが起こした元祖・米騒動に対しては、稀代の演歌師・添田唖然防が「ノンキ節」のパロディで警鐘を鳴らしたが、ほとんどの国民は面白がるだけで真剣にとりあわず、その結果、日本は戦争に突き進んで自滅した。そして、先の戦争をまたいで今回起きた「令和の米騒動」でも、異色の声色タレントのパロディソングがうけているが、ただ面白がってばかりいては戦前の二の舞になりかねない。
「令和の米騒動」は「食料安保」とセットで語られはじめている。その奥底には「戦争への道」が潜んでいる可能性を警戒しなければならない。
著者:前田 和男(ノンフィクション作家)
1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『冤罪を晴らす 食肉界の異端児の激闘20 年』(ビジネス社)、『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。
*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌ではその内容を一部要約してお届けします。
