『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではその3回分を1回にまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。
前田和男(ノンフィクション作家)
茶は「いじめの象徴」だった!
まさかと思われるかもしれないが、緑茶がわれわれ日本の一般庶民の生活の一部になったのは、たかだか100年の歴史でしかない。前回紹介したように、幕末から明治中期まで、茶は生糸とならぶ明治の近代化を縁の下で支えた花形輸出品で、国の後押しを受けて輸出総額の15~20%を占めていた。ところが、明治20(1887)年をすぎるあたりからインドやセイロン紅茶の台頭で輸出がしだいに停滞。それを受け、大正末期から昭和初期にかけて、茶は国内向けの嗜好飲料として日本人の生活に根付いていくのである。
では、それ以前の茶はどうだったのか?
茶ははるか大昔の奈良時代(8世紀頃)、遣唐使たちによって中国から薬用としてもたらされたといわれるが、それから相当のあいだ庶民の食生活とは「無縁の存在」であった。だが、戦国時代をへて江戸時代に入り「茶の湯」が武士階級のたしなみとなってからは、茶は庶民にとって「無縁の存在」から「いじめの象徴」になる。
それをうたいついできた童歌(わらべうた)がある。
♪ずいずい ずっころばし ごまみそ ずい~
である。
恐怖の御茶壷道中
じつは、この童歌は「御茶壷道中の恐怖」をうたったものだとされてきた。
この制度ができたのは三代将軍家光の寛永9(1632)年。以来、毎年新茶の季節になると、空の茶壷を担いだ「宇治採茶使」一行が宇治へ。そこで茶師に作らせた将軍家御用達の茶を茶壷に納めると、一路江戸へと戻る。この年に一度の往復イベントは「御茶壷道中」と呼ばれ、それに出くわした大名たちにはとんだ災厄であった。

将軍自らが服してから、神君家康公を祀る徳川家祖廟に献ずるという「超別格の儀式」であることから、摂関家はもちろん御三家の行列であっても、当主は駕籠から降り、家臣も下馬して道を譲らねばならなかった。
しかし、大名はそのていどの「屈辱」ですんだが、沿道の庶民の苦難と実害たるやその比ではない。年々華美になり、人馬合わせて400を超える大行列が通る街道は、前もって入念な道普請を命じられ、農繁期であっても田植えや畑仕事は禁止。子供たちの屋外の遊びも、煮炊きで煙を上げることも、葬式の列さえも許されなかった。
顔にやけどを負って「夜伽」に抗った娘
この「御茶壷道中の恐怖」のエピソードを、童歌「ずいずいずっころばし」とともに今に伝える場所がある。
一つは、中山道の宿場町として栄えた現在の岐阜市中心部にあたる加納宿の久運寺。藩主の墓がある由緒ある寺だ。寛文5(1665)年6月、藩主からここ久運寺を「御茶壷道中」の本陣にせよとの命が下るが、かねてから民の苦しみを聞き及んでいた住職の玉葉和尚はこれを拒否。加えて、同寺の檀家の宮大工の娘で評判の器量よしの千勢に対して「夜伽(よとぎ)」の接待が命じられる。すると、千勢は気丈にも、自らの手で顔に大やけどを負うことでこれに抗った。
その千勢がいつも子供たちを相手にうたっていたのが「ずいずいずっころばし」だったと言い伝えらえている。すなわちー―
♪茶壺に 追われて とっぴんしゃん
御茶壺道中が近づいたら、扉を締めて静かにしてなさい。
♪おっとさんが 呼んでも おっかさんが 呼んでも いきっこなしよ
両親に呼ばれても決して外に出ちゃだめ。
♪俵の ねずみが 米くってチュー 井戸のまわりで お茶碗かいたの だあれ
家の中で息を潜めていると、米を食べるネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れた音まで聞こえてくる……。
「ひと夏」の災厄を受け続けた地
もう一つ、この童歌の誕生地とおぼしき場所がある。
山梨県都留市である。場所は富士山の北麓、大月市と富士吉田市との間に位置し、人口は3万人弱。都留と書いて「つる」と読む。ここまでは、筆者も近傍の東京生まれゆえに知ってはいたが、その名の由来が富士の裾野に市域がつる状に延びているからだということと、ここ都留が「御茶壷道中」の最重要ポイントだったとは、今回調べてみるまで知らなかった。
じつは「御茶壷道中」では、往きは東海道で宇治をめざすが復路はルートが変わる。最高級の碾茶を詰めた御茶壷は中山道から甲州街道へ。さらに甲州街道から分岐して吉田へ至る富士道の中途、都留の勝山城の茶壷蔵でひと夏を過ごしてから、将軍の居城の千代田城(江戸城)へと向かったのだという。富士山の冷気にあてることで極上の碾茶をさらに熟成させるためだった。
前述した岐阜加納宿のエピソードは「御茶壷道中」のわずか一泊にまつわる事件である。ところが都留では、「ひと夏」が幕末の慶応2(1866)年まで毎年休みなく235回も繰り返された。となれば、庶民が受けた災厄のネタには事欠かないはず――。
朝日新聞2016年11月5日の山梨版に、その手掛かりをつかむことができた。「それ行け!やまなし探偵団 茶壷道中の碑がなぜ都留にあるの?」と銘打たれた記事によると、ここ都留で、葵の紋を染めぬいた幟を先頭に、毛槍を掲げた奴を従えた重厚な駕籠に乗せられた茶壷が市内を練り歩く「御茶壷道中」が再現されるのは2000年から。さらに、都留市教育委員会によって城址の茶壷蔵の発掘調査が始まったのは2005年というから、地元でも当地が御茶壷道中の最重要地であったことは長らく知られていなかった。
したがって都留からは、「ずいずいずっころばし」にかかわる‘‘掘り出し物’’はなさそうだと判明したが、同記事に寄せられた『静岡・山梨のわらべ歌』(日本のわらべ歌全集11、柳原書店、1983年)の著者・沢登芙美子静岡県立大名誉教授の以下のコメントから、逆説的な「気づき」を得ることができた。
「子どもの遊びなどから生まれる童歌は地方ごとの言葉や旋律に特色が出ることが多いが、この歌は全国に広くみられ、ほぼ同じ内容で口ずさまれている不思議な童歌です」
なるほど。ということは、御茶壷道中に題材をとりながら、御茶壷道中とは無縁の土地にまで広まっていることこそが、この童歌の真髄なのではないだろうか。
往時、為政者である武士たちの苛斂誅求に苦しむ庶民たちは全国いたるこころにいた。
さあこれから田植えだというときに「待った」がかかり、道普請をさせられたうえに、秋になったら年貢米はきっちりとられる。この御茶壷道中沿道の人々の憤懣やるかたない心情は、いくども似たような目にあっているからよくわかる。しかし、それを表だって表現したら、さらに恐ろしい処罰が待ち受けている。そこで、子供たちが道端でうたう御茶壷道中の他愛もない童歌の形をとって、武士たち為政者を揶揄・風刺してひそかに溜飲を下げたのではないか。
「ずいずいずっころばし」は、童歌に名をかりた庶民によるプロテストソングだからこそ、生まれも育ちも特定できない。もし岐阜加納宿や山梨都留の「ご当地童歌」でとどまっていたら、今日まで歌い継がれることはなかったであろう。
童歌ではなく猥歌!?
われながら画期的な仮説を得たと悦にいっていると、「そんなことでお茶を濁すのか」といわんばかりの茶袱台返しの論考に行きあたった。
若井勲夫『唱歌・童謡・寮歌――近代日本の国語研究』(勉誠出版、2015年)の第四章「わらべうた評釈」に収められた、「ずいずいずっころばし」をめぐる本格的学術研究論文である。それによると、
- 同歌が御茶壷道中を題材にしたものというが、そもそもその記録・記述が江戸期には見当たらない。
- 御茶壷道中が同歌の主題というが、主題中の主題である「茶壷」が出だしではなく途中から登場し、しかもそれっきりなのは、なぜか。
- 童歌とは路地裏や細道でうたわれるもので、歌の舞台として、御茶壷道中が通る当時の幹線道路はふさわしくない。
など八つもの「異議」を申し立てて、いずれも浅学の筆者には文献学的には至極妥当だと思われる。
では、「ずいずいずっころばし」が「御茶壷道中の恐怖」をうたった歌でないとしたら、論者はどう位置付けるのか。その解答は「童歌の形を借りた卑猥歌」。
その最大の論拠は「茶壷」は茶を収めた壺ではなく「女性器」の俗称にありとする。また、この童歌は、参加者が指で輪をつくりそこへ指を挿入することでスタートするのが「約束事」だが、それも男女の交合を意味するとしたうえで、歌詞を冒頭から最後まで、文献を駆使して微に入り細を穿って読み解く。超アカデミックではあるが、ほとんどが引用をはばかられる内容で、紙幅の制限から紹介できないことを、これほど安堵したことはない。
しかし、それにしても弱った。「ずいずいずっころばし」とは、庶民による、御茶壷道中を題材にした童歌に名をかりたプロテストソングである――という仮説は撤回すべきなのか?
しばし悩んだ末に、ひらめいた。いやいや、どちらの解釈も「あり」ではないか。童歌に形を借りた大人の卑猥歌だとしても、お上による日常的抑圧をつかの間エロスの解放によってやりすごす形を変えた権力批判であり、両者は対立するどころか「二つで一つの合わせ技」と考えられないだろうか。
さて、これをわが仮説の欠陥をとりくろうためのとんだ茶番とみるか、それとも茶袱台返しされた議論を改めて煎じつめ、喫するに値する一服のお点前に仕立て直したとみるかは、読者のご賢察にゆだねたい。
著者:前田 和男(ノンフィクション作家)
1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『冤罪を晴らす 食肉界の異端児の激闘20 年』(ビジネス社)、『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。
*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌では3回分を一部要約してお届けします。