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新潟

【地域力を探す旅4】川谷もよりの「とちゃ」と「かちゃ」はなぜ元気?

こんな感じのとちゃがゴロゴロいる

暗いはずの世間話でも、体が痛い話でも、笑いが絶えない川谷もより地区。
鴫谷さんが考えるその理由とは?

執筆者:鴫谷 幸彦(新潟県上越市・たましぎ農園)

天災には逆らえないが人災は

 今年は季節の進みが早いように感じる。赤トンボの羽化は1週間早く、セミの鳴き声リレーもテンポが早いから、なんだか急かされる。イネの穂は10日も早く、異常気象への不安は尽きない。

 いいこともある。今年は梅雨らしい梅雨で雨がよく降った。おかげで田んぼの水回しや畑の水やりに奔走することはなく、本当にありがたいと思う。結局、百姓はお天道様には逆らえない。自然に委ねつつ、祈りながら暮らす。それが百姓のいさぎよさにもつながり、何度でも立ち上がる力の源だと思う。しかし「人災」には、心穏やかにいられない。

 米の在庫が膨れ上がり、米価が急落しそうとのニュース。「米価は市場任せ」と言いながら、本来の目的と違う形で備蓄米を大量に放出し、米価を抑えようとした政府だが、備蓄米の買戻しには及び腰だ。そもそも米不足を引き起こしたのも、農家を減らし続けたことが原因なのに、結局、失策のしわ寄せは百姓にくる。政府は農家の方を見ていないのだ。いつものことだが、言葉が軽すぎやしないか。

暗い話でも痛い話でも大爆笑

 そんな中でも不思議とこの村のとちゃ(80~90代の父ちゃん衆)とかちゃ(母ちゃん衆)は元気がいい。暗いはずの世間話なのにはじける笑顔。体のあちこちが痛いという話なのに大爆笑。村の中で彼らに会うたびに、いろんなことがどうでもよくなる。この変わらない明るさと、けっして腐らない力には、移住して10年以上たってもなお、驚きしかない。くよくよしていた自分なんてどこかに飛んでいってしまう。

 新規就農の場所としてこの村を選んだ理由をよく聞かれる。そのたびに頭に浮かぶのは、村のみんなの笑顔だ。決してネガティブなことを言わない彼らがいたおかげで、僕はここで暮らしたいと思ったし、ともに暮らせることに喜びがある。

 気のせいかもしれないが、街場に近づくほど後ろ向きの声が増えてくる。「こんな村」「百姓なんて」と。川谷もより地区は上越市の山奥。吉川の源流に位置しながら、ばかに元気がいいことは市内に知れわたっている。移住者が増えている理由は、村のとちゃかちゃたちの明るさと元気のおかげだといって間違いない。地域の持続力につながっている。

川谷もよりの位置

手間とは生きる技術

 前回の話にも通じるが、それはたぶん、ここが山奥であり不便だからだと思っている。農業でいえば機械化や大規模化が難しいがゆえに、本当の実力が求められる。便利の反対語は不便かもしれないが、手間が多いということでもある。手間は生きる技術だから、生きる技術を携えた高齢者たちが達者に暮らしているのがこの村だとすると、やはり手間ってすごいなと思う。

 たとえば米づくり。僕の場合、大先輩達には収量も品質もかなわない。僕がへたくそであることを考慮したとしても、圧倒的な技術力の違いがある。とくに水回しの技術は名工と呼びたくなるレベル。箸一本ほど染み出ている水も無駄なく田に引き込み、山間地ゆえの冷たい水はイネに直接当たらないようにソヨ(江)を巧みに切り、日照不足や日の当たり方のばらつきは、植え付け本数や肥やしの加減で調整し、生育をびしっとそろえてしまう。草一本生やさないのは、農薬の使い方だけでなく、執念の手取りの結果だ。欠株をすべて捕植し、この山間地で10俵取りまでやってのける。手間を惜しまないとはこういうことかと思い知らされている。

 ここ数年、そんなとちゃたちが次々と米づくりをリタイアし始めた。寂しいというよりは、正直悔しい。技術の違いを見せつけられ、追いつこうとこちらはシャカリキになっても、追いつけないまま引退していくからだ。もっと背中を追い続けたかったのに、あー、もう!

先達の背中を見て続いてきた力

 天明伸浩さんは移住して30年超になる。僕の研修先でもあり、川谷もよりへの移住の先駆者だ。アイガモを使った有機米を1ha。減農薬も4ha。超急傾斜なので田んぼよりもアゼのほうが圧倒的に広く、アゼ草刈りだけでも気が遠くなるほどなのに、きっちりと仕事を回す。村のとちゃたちに言わせたら「まだまだ」かもしれないが、僕から見るとやはりかなわない存在だ。

 この山村で僕が農業をし続けられるのは、村のとちゃたちと、先輩移住者がいるおかげだ。いや、僕が知らないだけで、そうやってずっとこの村は続いてきたのだと思う。雪深い山間集落で力を合わせながらも、百姓同士が「張り合い」、先達者の背中を見ながら手間をかけ、技術を身に着け、暮らしをつくってきたのだろう。

「先輩の背中を追いかける」ということは、村の中だけでなく、都会の会社の中にもありそうだが、村が会社と違うところは、働く場と暮らしの場が同一という点。つまり、とちゃ、かちゃ、天明さんは、農業の先輩であり、暮らしの先輩でもある。彼らからは農業の仕方を学ぶと同時に、この地で生きていくための暮らしの知恵も学んでいる。季節ごとの山菜や野菜、その料理の仕方や保存の仕方、住民としてのふるまい、折々の共同作業などだ。

 そんな彼らを見ていて、不安はまったくない。ここで農業をしながら子育てをしていくとどうなるのか、人生の最後までここで農業をするとどうなるのかが、ちゃんと見えるからだ。少し先を行く天明さん一家、どんなに年をとっても達者で働き、笑顔を絶やさない、とちゃかちゃたち。このまま村人で居続けることが、間違いじゃないのだと感じられることが安心につながっていると思う。

 ん?ちょっと待てよ。僕はどうだろうか。後輩移住者に見せられる背中になっただろうか。急に焦りを感じつつ、がんばるしかない。いつの間にか僕も「地域の持続力」の中に組み込まれていたようだ。


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執筆者:鴫谷 幸彦(しぎたに・さちひこ)

1977年千葉県柏市生まれ。青年海外協力隊、出版社(農文協)勤務を経て、2012年に新潟県上越市吉川区の川谷もより地区で就農。水田2.2ha、畑80aの経営。『季刊地域』24年冬56号~25年冬60号で「川谷もよりのビジョンづくり」を連載。26年4月発売の65号には、筆者が講師を務めた「季刊地域セミナー」(25年11月28日開催)の様子を収録。

*本連載は、季刊地域WEBにて2カ月に1回掲載予定です。

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