2025年10月23日・11月28日、『季刊地域』の執筆陣が語る全2回のセミナー「ゆるがぬ暮らしをつくる~『季刊地域』セミナー」が開催されます。セミナーを記念して、第2回講師・鴫谷さんの連載をご紹介します。セミナーへの参加前に、ぜひお読みください。

執筆者:鴫谷 幸彦(新潟県上越市・たましぎ農園)
『季刊地域』56号(2024年冬号)「決意と希望を共有する「話し合い」から始まった」より

執筆者:鴫谷 幸彦
新潟県上越市の農家。農地を維持しながら新規就農者を育てる「川谷もより農地中間管理チーム」の実践に携わる。
地区のビジョンづくりにショック
近年、全国で地域住民の話し合いの場が増えています。行政からの働きかけで開かれるものがほとんどですが、これまでのトップダウン的な施策をやめ、住民自らが考えることで、他人任せにしない地域づくりへ転換しようとするものと思われます。
新潟県上越市でも2021年からまる2年にわたって「みらい農業づくり会議」が、市内各地で行なわれました。「中山間地域をなんとかしなければ」という市長&市職員の熱い思いから企画されたと聞き、感銘を受けた私は、私が暮らす吉川区(旧吉川町)の農業の将来ビジョンづくりに積極的に参加しました。
ところが5回の会議を通して完成した将来ビジョンは、地域としての特徴が薄く、行政が目指す従来の施策とあまり変わらないものになっていました。「これで将来ビジョンと言えるのか」と一人憤慨する私を、参加していた農家の一人がこうなだめます。「これは補助金をもらうための会議だと思うよ。お小遣いをもらうためには、いい子ちゃんじゃないと」。ひどくショックでした。こんなことのために、毎回集まって時間を費やしたのかと思うと、怒りを通り越し、悔しくなりました。

もったいないなあ…
そんな時に『季刊地域』で「集落会議のつくり方」(2023年冬52号〜23年秋55号)という連載を読み、ハッとさせられました。「回り職」や「充て職」で仕方なく役をしている参加者、広いエリアで意見をまとめる難しさなど、思い当たる節がたくさん出てきて、妙に納得しました。そして多様な意見をなんとかまとめようと苦心した市職員を責める気持ちはなくなりました。
また、憤慨する私に強烈な言葉をくれた農家を責めても仕方ありません。ただ最後に心に残った気持ちは一つ。「ああ、もったいないなあ!」です。
どうしてもったいないか。私には、地域の将来ビジョンづくりに成功体験があるからです。ビジョンづくりの過程で、住民が変わっていく姿、力を合わせようという気運の盛り上がりを肌で感じました。そしてできた将来ビジョンに基づいて活動してきたことで、地域はぐんぐんとよくなっています。きっかけはなんであれ、せっかく時間をかけてつくるのなら、個性と希望にあふれた「私たちのもの」といえる将来ビジョンにしたほうが得策だし、圧倒的に面白いと思います。
この連載では、私たちの地域のこと、将来ビジョンが策定されるまでの過程や、できたビジョンに基づく活動について紹介します。形だけの話し合いではなく、本気の地域再生のために少しでも参考となる連載になれば幸いです。
人口減少の危機感から始まった「物語」
私たちが暮らす「川谷もより」地区は、新潟県上越市吉川区(旧吉川町)の山間に位置し、30年以上前に廃校になった旧川谷小学校区4集落の総称です。冬は積雪3mを超え、夏はブナの森からの豊富な湧水が棚田を潤します。1996年には46戸113人が暮らしていた当地ですが、2015年には24戸46人と、わずか20年で半分以下にまで減少。この間、さまざまな農村都市交流をしてきたにもかかわらず、急速な過疎化と高齢化は止めることができませんでした。
私が山間地での就農を目指し、千葉県から移住して来たのは12年です。それまでは集落ごとの町内会が中心に動いていましたが、世帯と人口が激減し、集落機能が維持できない町内会が出始めたため、13年、集落の垣根を越えた一つの組織が立ち上がりました。その名も「川谷もよりの将来をみんなで考える会」(長いので以下「もより会」)です。
このもより会が約1年かけて住民全員で何度も話し合い、16年2月に策定した将来ビジョンが「川谷もより百笑百年物語」です。その心は「百姓が百人、百年先も笑ってくらせる村づくり」。住民の思いが詰まったこの将来ビジョンが、どんなふうにできたのか紹介したいと思います。
「10年後の夢」に大いに沸く
私たちがビジョンづくりをお願いしたのは、新潟にあるNPO「まちづくり学校」の金子洋二さんでした。ビジョンづくりの第1回はワークショップ形式。公民館(旧川谷小学校体育館)に集まった住民が車座になったところで金子さんが出した質問は「10年後の夢は何ですか?」でした。
「おい、10年後はおら、死んでんど!」
「夢って年でもねえろ!」
などと野次る参加者に、付箋が配られます。
「名前は書かなくていいですから、自由に書いてください」
「そんなら書くか」としぶしぶ書き始めた人、ニヤニヤしながら何枚も書く人。ところが時間になると、
「それでは、これから順番に読み上げていってもらいます」
「えーーー! 恥ずかしい!」と叫ぶ人。「そりゃねえだろ」と言いかけて口が開いたままの人。
「話が苦手な人でも書いたものなら読めますね」と金子さんに背中を押され、一人ひとり順番に付箋を読むことに。
「子供の声が聞こえる地域がいい」
「若い人に、ここの農業を引き継いでほしい」
「近所とお茶して話して、じょんのび(のんびり)暮らせりゃそんでええ」
「学校をつくりたい」
「地域のもんと、けんかしないで、仲良く暮らしたい」
「孫とかひ孫が帰ってくる場所にしたい」
最初は「そりゃ無理だ!」とか言っていた人もだんだん静かになり、うなずく人、笑う人、中には涙を流す人も。心にしまっていた想いが、ポツリポツリと言葉になるたびに、心が一つになっていく。そんな空気をみんなが感じていました。
これならできるかも
この種の会議ではよく「よいところ」と「困りごと」を出すパターンがありますが、「よいところ」は住民には当たり前すぎて出づらいし、「困りごと」はあり過ぎて後ろ向きになりがちです。その点「夢」なら、自分の心に仕舞ってある無形の希望ですから、否定されることはありませんし、その後の議論も楽しく前向きになりやすいと感じました。
また、夢出しワークショップと合わせて、金子さんが見せてくれた二つの人口予想グラフが強烈でした。16年を起点に、自然に任せた場合(上図)の50年後の人口と高齢化率には愕然とさせられましたが、1年に平均1人移住者を呼び込んだ場合(下図)の50年後は、なんと、住民は100人を突破しているという予想でした。

「今やらねば」という決意と「これならできるかもしれない」という希望を、具体的な目標としてみんなが共有することができました。
全戸訪問調査も経て四つの理念に
会議には出にくい住民もいたので、金子さんは全戸訪問もし、川谷もよりの「魅力」「気になっていること」「望ましい暮らし方」「ビジョンづくりに期待すること」を聞き取り調査しました。こうして集まった情報を、役員で整理し四つの基本理念を紡ぎだしました。
(1)老若男女が楽しく働き、子どもの声が絶えない地域
(2)産業と文化、自然が活かされたにぎやかな地域
(3)あくせくせずとも生きがいがあり、心豊かにくらせる地域
(4)互いの顔が見え、みんなが安心してくらせる地域
よくあるスローガンに読めるかもしれませんが、なるべく多くの意見を大事に、一字一句にこだわりましたから、世界で唯一、私たちだけの大切な理念だと思っています。この後続く会議でも毎回冒頭に読み上げて、夢を語り合った時の気持ちを思い出す、そんな役割をしてくれました。
事業チームごとに話し合い、意見発表
第2回全体会では、集まった情報を元に四つの事業部門に分けて検討を進めることにしました。かつての結(えーっこ)のようにお互い支え合う仕組みを考える「くらし安心事業」、農業をみんなで守る「基幹事業」、やりたい人がやりたいことにチャレンジできる「開拓事業」、川谷もよりの魅力を発信する「PR事業」です。

この4事業ごとにワーキングチームをつくり、住民全員を割り振り、ワーキングチームごとの話し合いを進めてもらいました。誰かの家に集まり、お茶や、時にはお酒を飲みながら、自由にじっくりと話し合いました。
第3回全体会は、まとまった意見をチームごとに発表し合いました。各チームの発表はどれも独創的でワクワクするものでした。参加者は聞き逃すまいと身を乗り出し、活発に意見が出ました。
第4回全体会は、役員でつくった素案をもとに、最後の意見交換。みんなが納得するまで、最後まで真剣な話し合いでした。
空き家を活かして住民増へ
こうしてやっとできた将来ビジョン。その具体的な中身の紹介は次回からになりそうですが、冬の活動を一つだけ紹介して連載1回目を終わりにしたいと思います。
ビジョンづくりの背景に高齢化と人口減少があることは冒頭に書きました。私たちは、地域の多くの問題の解決には住民を増やすことしかない、という信念を持っています。これは、長く続けてきた都市との交流事業のなかで気がついた点でもあります。
いくら交流が盛んで、いわゆる交流人口が増えても、住民が増えなければ暮らしを続けられないのです。イベントも、棚田オーナーも大切ですが、もっと大切なのは移住を促進することだ、との思いに至りました。
ビジョンの中で移住促進は「基幹事業」の重要項目です。移住者を呼び込むために必要なことは、(1)住居、(2)しごと、(3)コミュニティです。とくにハード面の住居はなければ話になりませんので、最小限のリフォームですぐに住める空き家を、つぶさずにどう管理するかが大切です。
そこで私たちは空き家の持ち主に呼びかけ、維持管理をもより会でする代わりに、希望者が出たら賃貸で居住を認めてくれるようお願いしています。維持管理とは、春の羽目板(雪囲いのための板)外し、夏の草刈り、秋の羽目板はめ、冬の除雪です。とくに除雪は空き家をつぶさないために豪雪地域には欠かせない作業です。これらの作業にもより会で賃金(中山間直接支払の棚田加算を利用)を出し、若い住民中心で続けています。
こうしてまだ見ぬ移住者のために続けてきた空き家の維持管理活動ですが、確実に実を結んでいます。この10年で5軒に新しい住民が入りました。100人で暮らす夢を胸に、この冬も3軒の空き家除雪を続けています。

