『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではその3回分を1回にまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。
前田和男(ノンフィクション作家)
謎多き「かえるの合唱」
「なぜ日本人はカエルの唄を愛でるのか?」を2回にわたって検証するなかで、カエルをモチーフにした唄たちが日本の農の盛衰の有力な指標であることが明らかになった。
では、それは日本という極東の島国だけで通用するものなのか? それとも日本以外でも汎用性のある指標なのだろうか? 最後の回では、それについて考察を加えてみようと、カエルの唄と農をめぐる関係の淵源を海外に求めたところ、思いもかけない謎と発見に行き当たり、大いに好奇心をくすぐられた。
ちなみに第5回の冒頭では、日本人に聴き馴染みのあるカエルをモチーフにした以下の唄たちを選び出し、制作年代順に掲げた。
▼「朧月夜」1914(大正3)年
▼「かえろかえろと」1925(大正14)年、
▼「ちゃっきり節」1927(昭和2)年
▼「おたまじゃくしは蛙の子」1940(昭和15)年
▼「蛙の笛」1946(昭和21)年
▼「かえるの合唱」(「かえるの歌」とも)1947(昭和22)年
おそらくこの6曲のうち、日本でもっとも知られているのは、最後の「♪かえるのうたが聞こえてくるよ~~」の「かえるの合唱」であろう。これを日本人の老いも幼きもが歌えるのは、1949年に国定教科書に採択されて以来、いまも初等音楽教育の現場で教材として使われているからだが、改めて調べてみると、この唄の由来にはじつに謎が多い。
出生地ドイツでは誰も知らない「怪」
1930年、スイスの教育者ヴェルナー・ツィンメルマンが、親交があった玉川学園の創立者である小原國芳に乞われて来日。わずか1カ月の滞在の間に、同校の生徒たちにスイスの歌舞音曲を教授。その中の一曲「かえるの合唱」に、居合わせた音楽教師の岡本敏明がいたく感銘を受けた。それが契機で戦後日本の初等音楽教育のキーマンとなる岡本により、「唱歌の定番」にされたといわれている。
そのいっぽうで、「原曲」についてはいまだ特定できていないらしい。にわかに好奇心をおぼえた私は、30年ほど前に渡独した友人に、暑中見舞いを兼ねて連絡を入れてみた。すると、ちょうど当地で所帯をもった女性医師の誕生パーティで、彼女の大学時代の友人が4人集まっているので座興に質問してくれた。職業は医師2人、教師1人、裁判官1人。出身は3人がヘッセン州、1人がノルトラインべストファーレン州。調査対象にも地域のばらつきにも不足はない。そして得られた回答は全員「聞いたことがない、ましてやそれが日本で歌われていることも知らない」。
その後、友人夫婦はドイツ人に人気のギリシアのコス島へ恒例の避暑に出かけたが、そこで出会ったドイツ人母子にも同様の質問をし、その結果を追伸メールしてくれた。それによると、母親はフランクフルト出身の教師、娘は15歳で、2人とも「この歌を聞いたことはない」との回答。さらに、興味をおぼえた母親がその場で「かえるの合唱」に関するドイツを含むヨーロッパの情報をインターネットで調べてくれたが、見つけられなかったという。
ということは、ほとんどのドイツ国民にはなじみがないということだろう。
農業大国フランスにはカエルの国民歌があった!
いやはや驚いた。日本でもっとも知られているカエルの唄が出生地ではまったく知られていないとは。こうなると、カエルをモチーフにした唄たちが日本の農の盛衰の有力な指標であるとの論拠がいささか心もとなくなってきた。
それでもあきらめきれずに、ドイツでウラがとれないのなら、お隣の農業大国フランスではどうだろうかと、関西の有力私大の国際学部で10年来フランス語を教えながら日仏の文化交流を研究している友人のフランス人に、同じく暑中見舞いを兼ねて、ドイツ生まれのカエルの唄をyoutubeで聞かせて、こう問い合わせてみた。「フランスでは知られているか?」
すると「聞いたことがない」との答え。カエルの唄たちはやっぱり日本だけの超ドメスティックな指標なのかと思ってあきらめかけたところ、「じつは似た唄がフランスにもある」といって、国民的カエルの唄を教えられた。
その歌とは、「雨が降って濡れるとカエルのお祭りだ!(Il pleut, il mouille c’est la fête à la grenouille.)」である。
これが私に大いなる発見と気づきをもたらしてくれた。
以下に歌詞の一部の日本語訳を掲げる。
1番 雨が降って濡れると カエルのお祭り
雨が降っていい天気 ヘビのお祭り
4番 雨が降って濡れると カエルのお祭り
雨が降っていい天気 (太陽) 農民のお祭り
フランスの保育園では、特に雨の日になると、先生たちの指導のもと園児たちがこの歌を合唱させられるので、フランス人なら誰でも歌うことができるのだという。まさに日本の「かえるの合唱」のフランス版である。
フランスではカエルは食べ物
フランス版「かえるの合唱」で注目すべきは、「雨がふるとカエルはお祭り騒ぎになる、つまり大挙して鳴きはじめる」、そして「農民もお祭りになる」というくだりだ。
アマガエルは「メイティングコール」といって、春の繁殖期になるとつがいを求めて鳴くが、繁殖期でなくても「レインコール」と呼ばれて雨がふると鳴く。全呼吸量の3~5割を皮膚からするアマガエルには湿度が高いほうが快適なためで、だから雨が降ると「うれし鳴き」の大合唱が始まる。そして農作物の生育を促す慈雨に農民たちも大喜びする。
雨を媒介にしたカエルと人間の共生関係を一つのストーリーに仕立てたわざはなかなかである。
それにしても、フランスではなぜ、このように雨とカエルと農との関係を童謡に歌いこむことができたのか? 私の疑問にフランス人の友人はこう即答した。
「フランスではカエルは食べ物ですからね」
なるほど、そうだったか。日本でカエルは人間の主食である米が育つ田んぼの〝同居人〟だが、フランスでは「食」そのもの。このストレートな関係から、このカエルをモチーフにした国民的童謡が生まれたのかと、得心がいった。
じつはカエルは、その国の農業立国度を占うバロメーターでもある。本年初頭、トラクタによるフランス全土の道路封鎖で農業に対する環境規制をはねのけたのも、かの国のカエルの跳躍力のたまものではなかろうか。かたや日本では、農の衰退とともに、カエルは田んぼから都会の少年のTシャツへと逃げ込んでしまったのは、すでに記したとおりである。
罪深きは人間の食欲
と、フランスの農業の健闘ぶりはカエルの跳躍力にあり、とほめちぎって本稿を閉じようと思ったところ、昨春『ナショナルジオグラフィック』に掲載された、フランスのカエルをめぐる記事に「待った」をかけられた。それによると、学術誌『ネイチャー・コンサベーション』に発表された論文を根拠に、毎年海外で数百万匹の野生のカエルが脚肉のために殺されていると告発されていた。
フランス国内では、園児たちに「雨が降るとカエルの祭りだ」と陽気に歌われている一方で、海外の山野では何百万ものカエルたちが血祭りにあげられているとは!
いうまでもないがカエルたちに罪はない、罪深いのは私たち人間の限りのない食欲である。カエルに詫びながらわが不明を恥じるほかない。
著者:前田 和男(ノンフィクション作家)
1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。
*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌では3回分を一部要約してお届けします。