『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではその3回分を1回にまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。
前田和男(ノンフィクション作家)
なぜ赤トンボは今も〝健在〟なのか?
前回に引き続き、日本人に最も愛唱されている童謡「赤とんぼ」をテーマに筆を進める。
農と共生してきた生き物をモチーフにした唄たちの多くは、いやほとんどは、今や、とうに失われてしまった日本の農村の風物詩――すなわち「過去の歌謡遺産」になっている。
それは、経済最優先の高度成長期のなかで機械化と農薬・化学肥料の大量散布によって、それまで農と共にあった生物が生きづらくなった、つまり人間による田んぼの生き物いじめが極まったからだ。
それゆえなのだろう、田んぼを生育地とする生き物たちは激減。「ほたるこい」(作詞作曲不詳)にも、「めだかの学校」(作詞・茶木滋、作曲・中田喜直)にも、「どじょっこふなっこ」(東北民謡、作曲・岡本敏明)にも歌われた「古き良き日本の原風景」は、すべて過去の懐かしい思い出になってしまった。
では、「赤とんぼ」はどうだろうか? 意外や意外、この童謡の歌詞にあるとおり、赤トンボは、今もなお秋になると夕焼け小焼けの田んぼで群れ飛んでいる。
いったい、それはなぜなのか? 今回はその謎に迫ってみたい。
似て非なる2種類の「異種混住」
調べるほどに驚きが増したのは、この謎には、赤トンボをめぐる壮絶かつ感動的なアドベンチャードラマが秘められていることだ。
それを教えてくれたのは、稲垣栄洋静岡大学農学部教授の『生き物の死にざま はかない命の物語』(草思社、2020年)である。
なぜ、「赤とんぼ」の歌詞だけは過去ではなく、現在の農村に「原風景の名残り」をとどめているのか? その理由の第一は、かくいう私もそうだが、昆虫生物学者でないかぎり一般の日本人は「赤とんぼ」は1種類だと誤解していることにある。じつは赤トンボとは世俗的通称であって、学術的には、「アカネ属」と「ウスバキ(薄翅黄)属」に大別される似て非なる2種類の「異種混住」なのである。
たしかに両者の外観は似ていて、夏までは共にオレンジ色。違いが出るのは秋からで、アカネ属は真っ赤に、ウスバキ属はオレンジ色のままなのだが、その程度の違いでは、見た目では区別がつきにくい。主たる生息場所もどちらとも田んぼで見分けがつかない。
しかし、生態は大きく異なる。稲垣教授によると、アカネ属は土着派、これに対してウスバキ属は外来派で、じつはここにこそ、通称・赤トンボが、生態環境の劣悪化のなかでも、オタマジャクシやホタルやメダカなどに比べて「微減」にとどまっている謎を解くカギが潜んでいる。
ちなみに土着派のアカネ属は、日本の田んぼや水辺で越冬した卵が春に幼虫のヤゴへと孵化。やがて5月末から6月に羽化して成虫のトンボになると、夏の酷暑を避けて近くの森へと移動、暑さが収まったイネ刈りの時期に田んぼへ戻って交尾して産卵、そして孵化する春を待つ。そのため農薬散布による田んぼの生き物いじめの犠牲となって個体数を大きく減らしてきた。田植えの直前に使用されるフィプロニルやネオニコチノイド系殺虫剤の影響という説が有力である。*1
これに対して外来派のウスバキ属は、はるか南方の熱帯の田んぼや湿地で羽化、4月から5月になると、2000kmもの彼方から洋上を飛んで日本にやって来る。さしずめ「渡り鳥」ならぬ「渡りトンボ」だ。そして、わずか数カ月の間に、田んぼで産卵・孵化・羽化を繰り返しては子孫を増やしながら日本列島を北上。その爆発的な繁殖力たるやアカネ属の個体数減を補ってあまりある。だからこそ、今も秋になると、夕焼け小焼けの田んぼで赤トンボが群れ飛ぶ日本の原風景を見ることができるのである。
童謡「赤とんぼ」を生んだのはウスバキトンボ?
なるほどと納得したところで、わが妄想の翅がはばたいた。
一般に童謡「赤とんぼ」のモチーフは日本土着のアカネ属と思われている。その根拠の一つは、この童謡を名曲にしている余韻ただようエンディング「♪とまっているよ竿の先」にある。ウスバキ属はしじゅう空中を飛び回っていて、アカネ属のように翅を休めることはめったにない、だからこの歌はアカネ属をうたったものだと。ところがわが妄想の告げるところは違う、これは外来のウスバキ属をうたったものではないか。
というのも、前回記したように、作詞者の三木露風は、文学講師として招かれた北海道は上磯町(現・北斗市)で、秋の夕暮れ時に群れ飛ぶ赤トンボを目にして、故郷の兵庫県龍野町(現・たつの市)で過ごした幼少年時代を思い出し、詩想がかきたてられたといわれている。露風にとって、幼少時に生き別れになった母親が子守奉公の娘に託してよこす「お里の便り」は絶えて久しいが、それを竿の先にとまったとんぼが久しぶりにもたらしてくれたと思えたのではないか。
だとすると、田んぼと近くの森の間のせいぜい数kmを往復するだけの土着派のアカネ属にはその大役は果たせない。やはり、はるか南方から海をわたってやってきたウスバキ属が、露風の生まれ育った播磨の農村でいったん翅を休めてから北上、たまたま北の果てにいた露風の元へはるばる津軽海峡をわたって飛来、あまりの長旅に疲れをいやすべく竿の先にとまっためったにない瞬間を気鋭の詩人が目撃、詩想を大いに刺激された、という謎解きはいかがだろうか。
ウスバキトンボはなぜ「死出の行軍」を繰り返すのか?
と、わが妄想の翅がまたぞろはばたいて、こんな根本的疑念がわいた。
そもそも2種に大別される赤トンボの片割れであるウスバキ属は、なぜ2000kmを超える長旅をいとわずに極東の島国を目指すのだろうか?
というのも、当のウスバキとんぼにわが身を置きかえてみると、「種の繁栄」という生物の進化論的モチベーションに反していて、どうにも理解不能だからだ。
ウスバキ属は熱帯生まれゆえに寒さには極端に弱い。そのゆえアカネ属とちがって秋がすぎると忽然と姿を消してしまう。寒さで死滅するのは成虫だけではない。せっかく日本の田んぼや湿地に産み落とした卵も冬を越せず、翌年の春に孵化、羽化することはない。これでは、初夏から秋にかけて数回も世代交代を繰り返しては子孫を爆発的に増やしてきた努力が水の泡ではないか。
にもかかわらず、次の年の春になると、ウスバキ属はまたまた大群となって日本列島へと飛来。日本各地の田んぼや湿地で子孫を増やしながら、秋の終わりには成虫も卵も死滅。この「徒労の極致」を悠久の昔から繰り返している。なんとも魔訶不可思議なビヘイビアだが、学術的にも説明がつかないらしい。
稲垣教授も前掲書で、こう記している。
「全滅しても全滅しても、ウスバキトンボは海を渡るチャレンジをやめない。(略)何がトンボたちを決死の旅に駆り立てるのか。すべては謎である」
〝元祖ご先祖〟の魂を乗せて日本へ
そこで、ここから先はわが妄想をたくましくして謎解きに挑戦してみたい。
そのヒントは、ウスバキ属の別名である「精霊(しょうりょう)とんぼ」にあるとにらんでいる。
ウスバキ属は、初夏から世代交代を繰り返し、お盆の頃になると群れをなすようになる。そのため、彼らが祖先の魂を乗せて飛んでくると信じられていて、多くが分布する西日本の各地では「精霊とんぼ」、熊本では親しみをこめて「ショロさん」と呼ばれている。
ここから、さらにわが妄想の翅をはばたかせると、「ショロさん」が運んでくるのは、その土地の人のご先祖ではない、日本に稲作を伝えたはるか南の人々――わが日本人のご先祖のそのまたご先祖、つまり〝元祖ご先祖〟ではないのか。
と、竿の先にとまった「ショロさん」からこんなつぶやきが聞こえてきた。
「なぜ、全滅しても全滅しても日本をめざすかって? それは長い長い年をかけて日本にまで田んぼと米づくりを伝えた〝元祖ご先祖〟が、その稔り具合を見届けたいというから、彼らの魂を背中にのせてやって来てるのさ。私たちの子孫を増やすのが目的じゃない」
そこに「ショロさん」の背中から〝元祖ご先祖〟の声がかぶさった。
「こんな北の果てに黄金の田んぼができて、お仲間のショロさんが夕焼け小焼けの中で群れている様を歌にまでしてもらえるとは……」
わが妄想の行きつくところ、それはすなわちこうだ。
もはや「赤とんぼ」は極東の島国の原風景をうたった童謡ではない。わが日本列島弧に稲作を伝えた人々と共に生きてきた生き物たちが、アジアモンスーン地域を舞台にあやなす「悠久の叙事詩」ではなかろうか。
(この項つづく)
著者:前田 和男(ノンフィクション作家)
1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。
*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌では3回分を一部要約してお届けします。