棚田の田んぼではじつは馬の力がとても役立つ。馬とともにイネをつくる懐かしい農村の風景が各地で少しずつ増えています。
この連載では、「生きもの・動物と一緒に田んぼを守る」をテーマに、全4回にわたってお届けします。

執筆者:鈴木貴良
『季刊地域』2024年夏号(No.58)「これは懐かしい未来 令和の里山に馬耕がやって来た」より
撮影:尾崎たまき
それは世界中がパンデミックで騒然とした年の春、行きつけのホームセンターのある隣町に買い出しに出かけたとき、屈強な体格の馬が棚田を悠然と闊歩するという見慣れない景色との遭遇から始まりました。
馬耕に心が揺さぶられた
その光景を目撃したのは自分だけではなく、瞬く間に地域の評判となりました。やはり誰が何のためにというところが気になったので、隣町の知人に尋ねてみると、どうやらその知人が首謀者で、目撃した光景は、馬で田を耕し代をかいているところでした。山の木を切り材木を引き出すことでも馬を活用するらしく、2020年春に、そのために株式会社三馬力社を起業したと聞きました。
1965年生まれで今年還暦を迎える私には、実際に馬や牛が田畑を耕すのを見た経験はありませんが、生きていれば90代の私の父親が若い頃の思い出話をすると、時々馬耕の話が出てきました。懐かしい記憶との再会に心が揺さぶられました。
さっそくユーチューブなどを開いてみたところ、過去の懐かしい歴史資料的な映像ではなくて、全国各地でリアルタイムに馬耕や馬搬が行なわれている映像がたくさん出てきました。どうやらその要的な存在が一般社団法人馬搬振興会であって、三馬力社の立ち上げを支援してきたことも知りました。

むらに家畜がいなくなった
私の暮らす町は、平成の大合併で柏崎市の一部になった旧高柳町です。海岸から車で1時間近く走った黒姫山の麓に集落が点在する中山間地で、米が中心の純農村地帯、もれなく過疎の町。コンビニもなく駅もない、昔の歌に出てきそうな田舎です。ただ、農村滞在型宿泊施設高柳じょんのび村や県立こども自然王国、そして茅葺き屋根の民宿といった人気スポットと、全国的に有名な和紙の工房があります。農業というより古典的な意味の百姓中心の農村です。
私自身の経営は米、青大豆、ソバ、飼料作物、ムギが中心で、道楽で地鶏を飼ったり、ヤギも以前飼っていました。農耕を営むうえで当たり前のように家畜を飼っていましたが、よくよく考えてみると80軒の私の集落で家畜を飼っているのはわが家だけ。50年前はどこの家でもニワトリやウサギを飼っていて、牛や豚、ヒツジなどを飼育している農家もありました。
もう少しさかのぼって70年ほど前は、牛や馬で当たり前に耕していた農村も、耕耘機の時代を経て今では三反百姓でもトラクタ、乗用田植え機、コンバインが必需品となり、どこの家でも軽トラックと乗用車の2台持ちは当たり前。機械作業に適さない農地から耕作放棄が進むのも、牛や馬が農村から姿を消すのも必然と言えます。
しかし、このまま人口が減り、生まれ育った里山が荒れ果ててゆく様を目の当たりにしながら暮らし続けることに、納得ができるだろうか? そんな自分自身への問いかけに未だはっきりとした答えは出ていませんが、三十数年前に30aの耕作放棄地を借りて始めた畑作は、現在10haまで増えました。一緒に汗を流してくれる後継者も3人できました。そして水田から畑地に変えて作目が変わることで、新しい産品も生まれた、さらにそれを担う若者が増えた、という結果を見れば、中山間地の環境が持つ本来のポテンシャルを引き戻すことで人が増え、新しい経済が生まれると言えます。であれば、「馬耕」という取り組みも見直されて当たり前です。
馬耕で農耕の場に人が集まる
ただし、動物の活用となると懐古的な思いだけでは簡単にいきません。馬の衛生管理に始まり、飼育、調教など、誰でもすぐに扱えるわけではありません。
私が最初に目にした三馬力社の馬たちは、性格もおとなしくて、体験会などでは誰が鋤につかまっても動いてくれる馬でした。しかしそれは日本トップクラスの馬生産者であり調教も行なう、代表取締役岩間敬氏の技術によるものであると知りました。

見学させてもらった津南町の圃場では、トラクタのロータリの爪が折れてしまうような石がある所でも、馬耕であれば鋤がかけられる、トラクタの出入りが危険な圃場でも、馬なら安全に出入りができるなど、馬で耕すことの利点を実際に見ることができました。また昨年の干ばつでひび割れた田んぼでは、馬をただ歩き回らせることで漏水の解消になったという効果が出ているところもありました。
しかし、これらもトラクタや重機があればできるじゃないか、という考えや声があるのもわかります。ただ一方で、いったん馬が田んぼに入ると周りには人が集まる。小さな子供たちが馬に会いたくて寄ってきます。農耕の現場に人が集まるということが何よりも大きな効果であると思います。

岩間氏のような農林業で馬を利活用する技術者を馬方といい、百姓は馬方に作業を依頼、あるいは馬を借り受けてそれぞれの農耕に活かすわけですが、体力の衰えが著しい還暦親父にとって一からこの技術を習得するのは間に合いそうにありません。
私が23年から取締役になったのは、百姓として彼らをサポートするためです。私の圃場を、三馬力社の皆さんが行なう担い手の講習会や一般向け見学会の会場として使ってもらう。作物の生育や食味に馬耕がどのような効果があるか、研究機関などを交えて調査する。馬耕の魅力を確かなものにして、次世代に畜力(車や耕具などをひく家畜の力)と百姓という生き方を伝えることが、私の役割と考えているところです。
次回は、「カエルと一緒に育てる有機米」。お楽しみに。
Web連載(全4回) 「生きもの・動物と一緒に田んぼを守る」
- vol.1 令和の里山に馬耕がやって来た
- vol.2 カエルと一緒に育てる有機米
- vol.3 赤トンボの羽化を見ませんか
- vol.4 田んぼまわりの生きもの 保全のワザ
本記事は、『季刊地域』2024年夏号(No.58)特集「これぞ愉快なスマート農業! 動物と一緒に農業」の記事の一つです。他の記事は、ルーラル電子図書館でご覧ください。

