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【唄は農につれ農は唄につれ 第22回】大正デモクラシーが生んだ傑作童謡は不吉な予言の歌でもあった!?

『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではそれをまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。

前田和男(ノンフィクション作家)

クリとドングリは「同族」

 クリの巻の最後になる本稿では、ドングリ(団栗)をテーマにした歌を取り上げる。

 と、読者から、クリとドングリは「別物」、いっしょにくくるのはどうかとの疑問が投げかけられるかもしれない。

 しかし両者は「別物」どころか「同族」。ドングリは、植物学的にはクリやクヌギやシイやカシなどのブナ科の木の実の総称で、日本では22種類が確認されている。その中で甘くて大きいものが人間に選ばれて栽培されてきたのがクリなのである。

 約1万年前から7000年ほどつづいた縄文時代、日本は豊かな森に恵まれており、クリをふくむ大量のドングリが採れ、それらは主に粉にして焼いた「クッキー」の形で食用に供されてきた。その証拠に、縄文遺跡からは、保存用の地下貯蔵穴が見つかって、各種ドングリが大量に出土している。

 その後、3000年前に始まる弥生時代には稲作が中国から伝来、米が主食となるが、ドングリは頻繁におこるイネの凶作に備えた「非常食用」として保存・活用されてきた。高知県の「かしきり(カシ豆腐)」や宮崎県の「かしの実こんにゃく」のように、現在も一部では郷土食としていきながらえている。

 これは日本だけのことではない。古来ドングリは世界の各地で食されてきた。古代ギリシア、ローマでは「貧しい人々のパン」と呼ばれ、粉にして焼いてパン、煮て粥として利用され、北米の先住民たちのあいだでは同じくパンや粥にして主食とされてきた。隣国の韓国では、ドングリ粉を固めてゼリー状にし醤油やごま油で味付けした伝統料理「ドトリムク」が、現在も居酒屋や家庭では人気のメニューだ。

 したがってクリの巻をドングリをもって打ち上げるのは、理にもかなっていることになる。

ドングリを実らせるのはブナ科の木。『まるごと発見!校庭の木・野山の木⑤ドングリ(コナラ)の絵本』大久保達弘編(農文協)より

作詞者は民本主義の吉野作造と同人誌仲間

 さて前口上はこれぐらいにして、本題に入ろう。最後にドングリをテーマにした歌として取り上げるのは「どんぐりころころ」。おそらく日本の老若男女で知らぬものはないであろうこの童謡の作詞者は、青木存義(あおき・ながよし、1879~1935)。青木が東京帝国大学文科大学(現在の東大文学部)で国文学を専修後、東京音楽大学(現在の東京藝術大学音楽学部)で教鞭をとっていた大正10(1921)年、自身が編んだ『かはいい唱歌』で発表したものだ。メロディは、すでに「城ヶ島の雨」(作詞:北原白秋、1912年)で作曲家の地位を確立していた梁田貞(やなだ・ただし、1885~1959)が手掛けた。
 以下に歌詞を掲げる。

♪どんぐりころころ どんぶりこ
 お池にはまって さぁ大変
 どじょうが出てきて こんにちは
 坊ちゃん一緒に 遊びましょう

♪どんぐりころころ 喜んで
 しばらく一緒に 遊んだが、
 やっぱりお山が 恋しいと
 泣いてはどじょうを 困らせた

 これは青木41歳の作だが、自身の幼少時の体験が下敷きになっていると思われる。青木の生家は宮城県松島の大地主。末っ子の朝寝坊の癖を心配した母親が、なにか生き物に興味を持ったら早起きするのではないかと、屋敷にあった池にドジョウを放ったという。すなわち、ドングリは幼少時の青木、ドジョウは母親がモデルといっていいだろう。

 しかし、この作品は、単なる青木の個人的エピソードの産物にとどまらない。青木はこの自作について、「この歌は子どもが見た世界を、子どもの心であらわした」と記している。

 ドングリやドジョウが「主人公」としてしゃべるという擬人法は、斬新な試みとして注目されたが、これは「子どもの自由な感性をたいせつにしたい」という企図からで、当時花開いた大正デモクラシーの自由主義への共感によって生まれたものだと思われる。

 ちなみに大正デモクラシーの主導者とされる政治学者・言論人の吉野作造(1878~1933)と青木とは、宮城県尋常中学校時代(現在の仙台第一高等学校)の同人雑誌仲間だった。また、青木の詞に曲をつけた梁田貞も、自由主義教育を標榜して大正期に生まれた私学の一つである玉川学園や成城学園で、その教育方針に共鳴して音楽を教えている。

 大正デモクラシーは、政治面では普通選挙制度による民主的政党政治を、社会面では婦人解放や部落解放などの人権運動を、そして文化面でも多くの果実を生んだが、その傑作のひとつが「どんぐりころころ」だったのである。

「♪身をたて名をあげ やよ励めよ」の「仰げば尊し」が典型だが、戦前につくられた文部省唱歌の多くは、もっぱら子どもたちを富国強兵を担い支える「臣民」に育成するべく「大人が上から教え込む」という作風が顕著であった。

 それと比べると、青木と梁田の「どんぐりころころ」は「子どもによる下からの目線」で描かれていて趣きを異にしている。それが戦前の生まれでありながら、先の戦争を超えて今も愛唱されているゆえんであろう。

追加の歌詞は贔屓の引き倒し

 ここまでは「どんぐりころころ」について「前向きの評価」を行なったが、ここからはこの童謡の「その後」に対して異議を申し立てたい。

 そもそも「どんぐりころころ」には冒頭で紹介した2番までしかない。ところが青木の母校である宮城県松島町立第五小学校の歌碑には以下の3番が刻まれ、歌われてもいるという。

♪どんぐりころころ ないてたら
 なかよしこりすが とんできて
 おちばにくるんで おんぶして
 いそいでおやまに つれてった

 これは昭和61(1986)年、作曲家の岩河三郎(1913~2013)が合唱公演に際して創作したもので、他にも作詞者不詳のこんな歌詞が流布している。

♪どんぐりころころ ないてたら
 やさしいハトさん とんできて
 山まで送って くれました
 どんぐりお礼を いいました

 いずれも、かねてより子どもたちの間から、「お山へ帰りたいと泣いてドジョウをこまらせたドングリはその後どうなったか知りたい」との声があり、それに応えてつくられたもので、幼稚園の教員などによって広められたらしい。

 そして2002年には、朝日新聞が「続きの歌詞」を公式につくる企画を立ち上げ、作詞界の大御所の荒木とよひさ(1943~)に依頼して、以下の3番と4番がつくられた。

♪団栗ころころ 母さんが
 夕やけ小やけの 池の淵
 泣いてる坊やを 抱っこして
 泥鰌にお礼を 言いました。

♪団栗ころころ それからは
 優しい泥鰌の 兄さんが
 恋いしくなったら 転がって
 時々遊びに 行きました

 筆者としては、このように青木の死後に新たな歌詞が追加されたことに対して、青木もそれは望んでいなかったと、声を大にして異議を唱えたい。

 先に紹介したように、青木の企図は「子どもが見た世界を、子どもの心であらわした」ことにある。「続きの物語」は当の子どもたちに想像させてこそ意義がある。大人が先回りをして「合理的な結末」を押し付ける、ましてやドングリにお礼をさせて暗に「品行方正の訓示」を垂れるのは、かえって子どもたちの自由な発想と生き方を奪ってしまうことになりかねない。

 たとえば、「犬の警官」が困ったままの2番までしかない「いぬのおまわりさん」(作詞:佐藤義美、作曲:大中恩、1960年)に、「迷子の子猫に飼い主が見つかって保護されてめでたし、めでたし」という3番を加えたら、この童謡の魅力とパワーは失われてしまうだろう。

 したがって、青木の死後に追加された、3番以降の「新作歌詞」は蛇足であり、余計なお節介どころか贔屓の引き倒しでしかない。

どんぐりころころ歌碑についての解説(宮城県松島町のウェブサイト)
https://www.town.miyagi-matsushima.lg.jp/index.cfm/9,1861,55,148,html

農業近代化への警告の歌?

 最後に、「どんぐりころころ」に隠されている、作者の企図を超えた警告と予言を指摘しておきたい。
 古来「わらべ唄」には、何か不幸な出来事への予感が秘められているといわれる。

 例えば「通りゃんせ」の「♪行きはよいよい帰りはこわい」、 あるいは「かごめかごめ」の「♪つるとかめとすべった うしろのしょうめんだーれ」のくだりがそれである。

「わらべ唄」の奥底に蟠踞(ばんきょ)する不吉な予感については、興味深い民俗学的考察が多々あるが、紙幅の制約もありそれには深入りせずに筆を先にすすめると、じつは「どんぐりころころ」にも同様の指摘ができそうだ。

 青木がこの童謡を作詞した大正10(1921)年はもちろん、死去した昭和10(1935)年でも、ドングリとドジョウが出会う里山は健在だった。しかし、幸いにも青木はそれを目撃することはなかったが。戦後に推し進められた農薬と化学肥料による農業の近代化によって、その環境は様変わりする。

 ドングリが実る里山は荒れ、田んぼも池もドジョウには生きづらくなる。そして2018年5月、環境省はレッドリストを改訂、ついにドジョウは「準絶滅危惧種」に指定される。

 このクリの巻の1回目(第20回)では、童謡「里の秋」(歌:川田正子、作詞:斎藤信夫、作曲:海沼實、1945年)を取り上げて、こう指摘した。

「日本人の内なる縄文人が、彼らの主食であり平和な暮らしのシンボルでもある『栗』の歌詞に触発されて作詞家と作曲家に憑依。侵略のシンボルである『椰子』の島から、平和のシンボルである『栗』が実る母国の故郷へ帰っておいで、と作詞家に乗り移ってそう『改作』を促したのではないか」

 ドングリとドジョウをめぐるこの童謡もまたしかり。縄文のシンボルであるドングリによる、弥生人の末裔である私たち現代の日本人への警告と予言の歌ともとれるのではないか。

 筆者の脳裡にこんな幻の3番が浮かんだ。

♪どじょうもお山を見たいので
 いっしょに帰ろうと思ったが
 お池が農薬(くすり)で汚されて
 望み果たせず死んじゃった

 先に、3番を追加するのは蛇足で余計な節介であり作者への贔屓の引き倒しだと異議を唱えたが、これなら青木も「了」としてくれるのではないだろうか。


著者:前田 和男(ノンフィクション作家)

1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『冤罪を晴らす 食肉界の異端児の激闘20 年』(ビジネス社)、『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。

*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌ではその内容を一部要約してお届けします。


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農文協 編
遊休農地の活用策を探るシリーズの第3弾。 「誰が?」では、下限面積が廃止になった影響を検証。これまで農地を持たなかった人が小さい畑を取得する動きが各地で生まれている。農家も農地も減少しているが、兼業・多業による小さい農業が新しい「農型社会」をつくる事例を。 「なにで?」は農地の粗放利用に向く品目を取り上げた。注目はヘーゼルナッツ。 「どうやって?」コーナーでは、使い切れない農地を地域で活かすために使える制度・仕組みを取り上げた。
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