人口475人のうち、およそ4割が移住者だという売木村。四つの峠に囲まれ、村の端から端までは車で15分ほど。小さい村だけど、若い世代も動物もいてなんだかにぎやか!
長野県売木村、文=編集部、写真=尾﨑たまき
売木村の山に人に恋をして
草の勢い旺盛な7月。田んぼの脇の農道を黄色い自転車がぐんぐん進む。車で追いかけ目的地に着くと、余裕の笑顔で「仕事場」を案内してくれた。
「毎日田んぼの水管理をしているんですけど、この風景の中を走ったら楽しいだろうなあと思って、ロードバイクを買いました!」
今年の4月、地域おこし協力隊として着任した玉川綾香さん。農業振興がミッションで、村内の農業法人・株式会社アグリかなだの作業を中心に、小学校での農業体験にも関わっている。
この自転車に乗って村を走ると、小学生は「あやちゃん号だー!」と呼びかける。出会う人には手を振って挨拶できるし、おばあちゃんが歩いていても、同じ目線で気軽に停めて話しかけられる。明るい人柄に加え、トレードマークの「あやちゃん号」。着任して4カ月目にして、村民みな友達のようだ。
「この村の何がいいかって、どこにいても水の音が聞こえることですよ。水路の水は夏でも冷たい。農作業の合間に水路で顔を洗ってクールダウンできる。最高です!」
綾香さんが売木村に来たのは、同じく移住者で以前よりアグリかなだの従業員だった玉川翔さんがきっかけだった。農家の婚活サイト「Raitai」で出会い、神奈川から売木村に通ううちに、翔さんにも山に近い売木の暮らしにも恋したそうだ。
村の人たちの後押しや先輩移住者たちが相談に乗ってくれたこともあり、翔さんと結婚し売木で暮らすことを決めたという。もともと神奈川県の農業大学校に通っていて、農家になろうと思っていたそうだが、地域おこし協力隊員になったのもよかったと綾香さん。まだ数カ月ながら、売木でやりたいことも見えてきた。
「アグリかなだでの農業に加えて、村内の農家同士をつないで販路をつくりたい。キャンプ場など観光業との協業や農業ワーケーションに取り組む事業を立ち上げようかとも考えています。都会の人に売木で休暇を楽しみながら農業をしてもらうんです」
村に新しい人が入ってくる仕組みをつくる
売木の農業に村外から人が入る素地をつくってきた村民の一人が、アグリかなだ代表の金田國茂さんだ。
一軒が持つ農地が小さく兼業農家が当たり前だという売木村。高齢で耕作できなくなった農地を引き受ける担い手や組織がなく、耕作放棄地が増えているのが心懸かりだった。そこで2005年、耕作放棄地で米をつくろうと村の仲間と有限会社ネットワークうるぎを立ち上げた。
つくる人がいなくなった農地を引き受けて自分たちで米を生産することに加え、「うまい!うるぎ米育て隊」と銘打って名古屋、浜松など車で2時間ほどの近隣都市の住民にも参加してもらうことにした。作業すればその分米をもらえるという仕組みだ。ちょうど米の計画流通制度が廃止され、流通が多様化したタイミング。ブランド米という概念が広がるにつれ、売木特産のはざかけ米に、多いときには50人もの人たちが集まって農作業をした。
「兼業農家を当たり前と思ってやってきた自分たちだけでは先が見えている。かといって息子を連れてきて農業やらせようっていっても無理。まずは新しい人が入ってくる仕組みをつくらないと」という想いだった。
ネットワークうるぎでは、売木に住んでみたいという人がやって来れば、農の雇用制度(現在の雇用就農資金)を利用したり、県営公園の管理受託をしながら働ける場を提供し、人も育ててきた。これまでにネットワークうるぎを通して定住したのは5人。その子供たち5人が昨年揃って小学生になり、学校がにぎやかになったと村の人たちも喜んでいるそうだ。
稼ぐ農業も自給の農業もやる
21年、アグリかなだとして独立した金田さん。現在は玉川夫妻を迎え、米、トウモロコシ、原木シイタケを栽培している。今年の夏からは、名古屋のスーパーに朝どりのトウモロコシを並べてもらうことになった。ここで売木村の農産物を知ってもらうきっかけをつくりたいと考えている。ミョウガやトマトなど村の気候にあった他の品目と合わせ、みんなで売木村ブランドの野菜を販売していけるような態勢をつくるのが目標だ。
そんなアグリかなだには、綾香さんが「一番の夏のボーナス!」と顔を輝かせる小さな畑がある。4aほどの面積の自給畑で、ハウスまで建っている。金田さん、玉川夫妻、「うるぎ米育て隊」をきっかけに車で毎週名古屋から通う夫婦の3組の共同菜園で、好きな苗を持ち寄り栽培して収穫を分け合う。
「國茂さんのつくるメロン最高なんですよ。夏の暑いときにいただいて本当に元気になりました」と翔さん。この菜園で野菜の仕立て方を教えてもらうそうで、「トウモロコシやシイタケで稼ぐ農業と、自給の農とどちらもできるのが楽しい」と夫婦で笑い合う。
金田さんもこの菜園が気に入っている。
「田舎の農家と都会の人たちがつながって一緒に畑をやる。定住せず通ってくれるだけでも、温泉に入ったりお土産を買ったりして地域にお金が落ちる。都会の人には『食料保障』という意味もある。新しい農業のあり方になると思っている」
これだけの大幅値下げをしてくれたのには、石材店業界の事情もあるらしい。
交流で若い世代が増えた
売木村では清水秀樹村長が自ら旗を振り、「交流の中から定住を」を村の事業としても力を入れてきた。就任して12年、清水村長は変化を実感する。
「十年一昔って言うけど、本当に10年経てば変わるね。昔はよその人ばかりに手厚くて村の人に冷たいってよく言われたもんだけど、今は移住者が村の4割。その人たちが支えてくれている」
人口は村長に就任した当時の622人から475人へ減った。しかし、若い世代が移住してきている影響か、24年6月に人口戦略会議が発表した「消滅可能性自治体」には含まれなかった。
村長が交流人口を増やすためにやってきたことの一つが人材のスカウトだ。高冷地であることを活かしてマラソン合宿を誘致したいと考えていた村長。たまたま売木でトレーニングしていたプロのランナーを村専属にとスカウトしたそうだ。彼が売木村所属として大会に出場し優勝。その流れで市民ランナーのファンがついて、村でのランニングイベントもにぎわった。それになんと村長は、本誌の兄弟誌『現代農業』を見てスカウトした人もいるというのだ。会いに行ってみた。
「ヤギ飼い」スカウトされる
朝のヤギ舎。タンッ、タンッという音とともに、軽トラックの荷台へ次々とヤギが飛び乗る。早く外に出たい、とばかり、我先に動き出すヤギ。えー、行くんですか……とヤギ舎の端で駄々をこねるヤギ。個性豊かな一行が放牧地へと運ばれていった。イネではなく草が茂った田んぼに降り立つと、行くのを嫌がっていたヤギもウソのように草を食み始める。
軽トラを運転するのは後藤宝さん。10年前、ヤギたちと一緒に福井県池田町からやってきた移住者の先輩だ。池田町でヤギの放牧やミルクの加工品生産をしていたところ……