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【唄は農につれ農は唄につれ 第21回】クリは国境を越えた望郷と平和のシンボル――「大きな栗の木の下で」から読み解く

『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではそれをまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。

前田和男(ノンフィクション作家)

出所は“詠み人知らず”のイギリス民謡

 前回は「里の秋」を取り上げ、この童謡は「モチーフであるクリに触発された日本人の『内なる縄文人』によって平和のシンボルソングに生まれ変わった」という仮説について検証を行なった。

 同じくクリをモチーフに終戦直後に平和のシンボルソングとなった童謡は「里の秋」だけではない、他にもある。それは、出だしがそのまま曲名(タイトル)になっている「大きな栗の木の下で」。今回は、この歌を取りあげる。

 まずはその生い立ちを簡単に確認しておこう。

 オリジンは“詠み人知らず”。すなわち作詞者も作曲者も不明のイギリス民謡「Under the spreading chestnut tree」である。イギリスから世界に広がり、わが日本へとやってきた。

 メロディは、ナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命したチェコ出身のユダヤ系クラシック作曲家、ヤロミール・ヴァインベルゲル(1896~1967)が1939年にアレンジしたものが定着しているが、歌詞は“詠み人知らず”だけあってさまざまなバージョンが流布しているようだ。もっとも知られているのは、以下である。

♪Under the spreading chestnut tree.
 There we sit both you and me.
 Oh how happy we will be.
 Under the spreading chestnut tree.
(大意:私とあなたは大きなクリの木の下で座って、とても楽しい時を過ごすだろう)

進駐軍の愛唱歌がNHKの子供向け歌番組へ

 ちなみに日本では、訳詞者は不詳の次の訳詞で知られている。

♪おおきなくりの きのしたで
 あなたと わたし
 たのしく あそびましょう
 おおきなくりの きのしたで

 いまや日本人なら老若男女を問わず口ずさめる童謡だが、そうなるきっかけをつくったのは、戦後新しい統治者として来日したGHQの米軍兵士やその関係者だった。アメリカではボーイスカウトの歌として彼らの愛唱歌となっていたことから、それを耳にした日本人のあいだにも知られるようになる。

 さらに、このイギリス生まれアメリカ育ちの歌が日本の国民的童謡となるのに大きな役割を果たした飛躍台がある。1960年代からはじまったNHK教育テレビの「うたのおじさん」である。ホスト役のバリトン歌手・友竹正則(1931~93)が身振り手振りをまじえたジェスチャーで、昔ながらの「手遊び唄」を現代によみがえらせて評判を呼び、後のNHK「みんなのうた」や「おかあさんといっしょ」などを生むことになる。

 この「うたのおじさん」で取り上げられた歌たちのなかで、もっとも人気を博したのが「大きな栗の木の下で」だった。やがて幼稚園や保育園で歌われる定番となり、家庭にもちこまれ、それを習い覚えた子供がたちが大人になってそのまた子供たちにうたいつぐという世代を超えた「良循環」の中で、新参ながら、「国民的童謡」となって今に至っている。

欧米では甘酸っぱい青春回顧の歌

 当初は前掲の1番だけだったが、詩人で芥川賞作家でもある阪田寛夫(1925~2005年)によって以下の2番・3番が追加された。

♪おおきなくりの きのしたで
 おはなししましょ
 みんなで わになって
 おおきなくりの きのしたで

♪おおきなくりの きのしたで
 おおきなゆめを
 おおきくそだてましょう
 おおきなくりの きのしたで

「大きな栗の木の下で」がこれほどの起承転結の物語性をもつ童謡として洗練されたのは、おそらく日本だけである。

 欧米では、以下の詠み人知らずバージョンがあるが、子供のための童謡というより、甘酸っぱい青春の回顧である。

♪Under the spreading chestnut tree.
 Where I knelt upon my knee.
 We were as happy as could be.
 Under the spreading chestnut tree.
(大意:大きなクリの木の下で、私たちは座りこんでとても幸せだった)

♪Underneath the spreading chestnut tree
 I loved him and he loved me
 There I used to sit up on his?knee
 ’Neath the spreading chestnut tree
(大意:大きなクリの木の下で、私と彼は愛し合っていた。彼の膝を枕にして)

日本でも欧米でもクリは平和と望郷とのシンボル

 では、なぜ「大きな栗の木の下で」が、日本で童謡として独自の発展をとげたのか? その検証に移ろう。

 そもそもの契機は、前述したように、来日したGHQの関係者が愛唱するのを日本人が聞き覚えたからである。

「大きな栗の木の下で」は、ドリス・デイの「センチメンタル・ジャーニー」、パット・ブーンの「砂に書いたラブレター」、グレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」などとともに、GHQが戦後の日本にもたらした“アメリカ流自由と民主主義”のシンボルソングとなった。

 戦前の軍歌や演歌から、アメリカンポップスへ。これらの楽曲は、単なるエンターテイメントにとどまらず、戦後の日本人の価値観やライフスタイルを反転させる契機となった文化的な輸入品でもあった。

 しかし、「大きな栗の木の下で」が戦後日本の国民歌謡になったのは、それだけでは説明がつかない。もう一つ考えられ、こちらほうが有力と思われるのは、この歌のモチーフの「クリ」がもつ洋の東西を超えたシンボルパワーである。

 欧米、とりわけ10月中旬から香ばしい焼き栗の匂いが秋の風物詩となるフランスやイタリアでは、クリは「平和な家族の温もり」とそれがもたらす「望郷」のシンボルとされてきた。

 さらにクリは、欧米人の味覚だけではなく感性をも刺激する文化シンボルである。ちなみにシスレーの「セル・サン・クルー近くの栗の並木道」やゴッホの「果物と栗のある静物」など印象派の画家たちの題材になり、小説でも、しばしば栗拾いや焼き栗の描写が家族とのつながりや幼少時代の思い出のシーンとして描かれてきた。

 欧米では、バラが「愛」「情熱」「美」の象徴であるのように、クリは「平和な家族の温もり」と「望郷」の象徴なのである。

 これは、前回「里の秋」で検証したように、日本でも私たちの中にある「縄文の血」に由来すると思われる「平和な家族生活」と「望郷」のシンボルとなっている、という仮説に通底するものがあって、まことに興味深い。

 すなわち、「大きな栗の木の下で」が新参者ながら戦後日本の国民歌謡となったのは、クリに対する洋の東西を超えた「平和な家族生活」と「望郷」のシンボル力がシンクロしたからではなかったか。もし来日したGHQの兵士たちが愛唱した童謡のタイトルと歌詞が「大きな栗の木の下で」ではなく、「大きなリンゴやイチョウやアンズやモモやサクランボの木の下で」だったら、この歌が今もここまで多くの老若男女の愛唱歌でありつづけることはなかったのではないか。

意外な「異国」でも愛唱歌に

「大きな栗の木の下で」には、クリをモチーフに「平和の家族生活」と「望郷」を想起させて人々をつなげる効果があるのは、この歌が生まれたイギリス、育ったアメリカ、そして持ち込まれた日本だけに限ったことではないようだ。

 意外な「異国」で愛唱されていることに驚かされた。

 2007年9月28日付「朝日新聞」愛知版には、JICA(青年海外協力隊)からバングラディシュの小学校に派遣された理数科教師のこんなレポート記事が掲載されている。

「ここの子どもたちはみんな、日本人が大好き。算数や理科も大好きだが、日本の文化に興味があるようた。帰りにはいつも、『大きな栗の木の下で』(ボロボロガーチェルニチェテ)を歌ってくれる。お礼に私は日本の新しい歌を教える。かえるの歌を教えた時は、その後一週間は、学校中にゲロゲロが響き渡った」

「大きな栗の木の下で」はバングラディシュ以外でも愛唱されているようだ。JICA(青年海外協力隊)のホームページの「海外協力隊の世界日記」の「ブータン便り」には以下の報告が掲載されている。

「『大きな栗の木の下で あなたとわたし なかよく遊びましょう 大きな栗の木の下で♪』
 誰しも一度は子供の時に聞いた・歌ったことがある童謡ですね。ブータンにいると時々耳にします。曰く小学生の時に日本人の先生から習ったそうです。きっと過去の協力隊員の方々のことでしょう。皆先生の名前は覚えていなくても、小学校を卒業して10~20年経った今でも歌は覚えており、私が日本人だとわかると歌ってくれます。学校隊員の強さはここにあると思います。隊員が帰国して十数年経った今でも教えてもらったことを覚えており、ブータン人の記憶に刻まれています。そしてそれは日本および日本人への親しみとなり、初対面の見ず知らずの私にさえ親切にしてくれます」

「大きな栗の木の下で」にふれたJICA海外協力隊ホームページの「ブータン便り」
JICA海外協力隊の世界日記
Kuzuzanpola! 隊員の岩井です。「大きな栗の木の下で あなたとわたし なかよく遊びましょう 大きな栗の木の下で♪」誰しも一度は子供の時に聞いた・歌ったことがある童謡ですね。ブータンにいると時...

 どうやら、「大きな栗の木の下で」は、海外青年協力隊や海外支援のNPOの日本人たちによって「異国の地」に広く伝えられてきたらしい。

 さらに驚かされたのは、この歌が知られていない「異国の地」でも受容されるということである。

 2012年、世界の紛争地を取材、ボーン上田記念国際記者賞特別賞などを受賞した山本美香さん(1967~2012年)がシリア紛争の取材中に銃弾に倒れた。その追悼の連載「美香さんのメッセージ」が出身地である「朝日新聞」山梨版に掲載されたが、2013年8月13日付の同紙で、同業者として親交のあった江川紹子さんが、美香さんの取材姿勢についてこう語っている。

「アフガニスタンで言葉が通じない女性たちに何とか取材しようと、『大きな栗の木の下で』を日本語で歌った。心を通わせたいという思いを伝え、相手の警戒心を抱かせないところがすごい」

クリが独裁者のシンボルになる近未来ディストピア小説

 しかし、「大きな栗の木の下で」の検証は、ステレオタイプの童話や童謡のように「これでめでたしめでたし」では終わらない。そこがこの歌の奥深さでもある。

 ここまでは「大きな栗の木の下で」を、「平和な家族生活」と「望郷」という洋の東西を問わないクリのシンボル効果による「良き歌」として紹介してきたが、じつは、この歌は「平和な家族生活」と「望郷」を根底から破壊してしまう恐ろしい近未来を予言する「悪しき歌」かもしれないからである。

 最後に、この歌をめぐるそんな逆説(パラドックス)を暗示した小説に言及しておきたい。その小説とは、アメリカ流“自由と民主主義”が光かがやき誰もそれを疑わなかった戦後間もない1949年に、「大きな栗の木の下で」を生んだイギリスで発表された、ジョージ・オーウェル(1903~50年)の『1984年』である。

ジョージ・オーウェル著『一九八四年』(新訳版、ハヤカワepi文庫)

 描かれるのは、一党独裁の全体主義国家がテレスクリーンという遠隔カメラの監視と思想統制によって生み出す恐怖のディストピア(反理想郷)。主人公である下級公務員のウィンストン・スミスは、任務として命じられた「歴史の消去と改竄」に疑問を抱いて恋人と共に反逆を試みるが、拷問の果てに党の支配に屈する。

 その大団円で国民総監視装置のテレスクリーンからは、

♪I sold you and you sold me:
 There lie they, and here lie we

 の一節が流れる。これは先に掲げた「大きな栗の木の下で」の流布バージョンの以下の一節の替え歌(パロディ)である。

♪I loved him and he loved me
 There I used to sit up on his knee

 ちなみに「lie」は「嘘をついて裏切る」と「倒れて横たわる」の二重の意味を持つ。したがって、このくだりは「かつては愛し合っていた私たちは互いを(党と国に)売り渡して倒れた。私たちだけでなく誰も彼も」となろうか。

 かくして『1984年』は、隣人を「人民の敵」として売り渡すことで数百万人が粛清されたスターリン体制下のソ連の悲劇を予言したとして話題を呼んだが、ソ連が崩壊して30年以上もたつ今、これを「おぞましい過去の物語」としていいのだろうか?

 トランプの登場で戦後世界を領導してきた“アメリカ流自由と民主主義”の危うさが決定的となり、ヨーロッパでは極右勢力が政権を握る寸前まできていることを思うと、この小説は「今再びの近未来の予言書」とすべきではないか。

 数千万人もの命が失われた先の世界大戦後、局地紛争はあったものの、大枠では平和がつづいたかのようにみえる。しかし、それは僥倖というべきであって、「大きな栗の木」は「平和な家族の暮らしのシンボル」から「おぞましい独裁者のシンボル」にいつでも反転する。その大いなる可能性をジョージ・オーウェルの『1984年』は警告している。


著者:前田 和男(ノンフィクション作家)

1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『冤罪を晴らす 食肉界の異端児の激闘20 年』(ビジネス社)、『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。

*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌ではその内容を一部要約してお届けします。


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農文協 編
遊休農地の活用策を探るシリーズの第3弾。 「誰が?」では、下限面積が廃止になった影響を検証。これまで農地を持たなかった人が小さい畑を取得する動きが各地で生まれている。農家も農地も減少しているが、兼業・多業による小さい農業が新しい「農型社会」をつくる事例を。 「なにで?」は農地の粗放利用に向く品目を取り上げた。注目はヘーゼルナッツ。 「どうやって?」コーナーでは、使い切れない農地を地域で活かすために使える制度・仕組みを取り上げた。
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