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【唄は農につれ農は唄につれ 第27回】「銀座カンカン娘」国民的乳酸飲料をテーマに戦後女性の自立をチアアップ

『季刊地域』vol.57から始まった連載は、このウェブサイトで毎月更新します。誌面ではそれをまとめて別連載として続きます。どちらもお楽しみください。

前田和男(ノンフィクション作家)

カンカンは街娼パンパンへの憤り?

銀座カンカン娘レコード
銀座カンカン娘(レコード)

 前回は、時に歌が世界の歴史に大きな影響を与えることを、「屠られる子牛」をテーマにした「ドナドナ」によって検証した。今回は、目線を世界からわが日本へと転じて、「牛を素材にした歌」による同工異曲の事例を取り上げる。

 その歌とは「銀座カンカン娘」。敗戦4年後の1949(昭和24)年8月に封切られた同名の映画(監督:山本嘉次郎)の主題歌で、主演の高峰秀子が歌い、ラジオからひんぱんに流れてくる国民的ヒット曲となった。以来、この歌と映画は、戦後の日本の女性たちのビヘイビアを「陰」(隠忍自重)から「陽」(自己主張)へと大きく変えるきっかけになったと指摘されてきた。

 これには、幼少時にラジオから流れてくるこの歌を聞き覚えた筆者も同意はするが、多くの識者や戦後歌謡史が、その根拠を以下の1~3番までの歌詞に求めるのには大いなる疑義がある。

1番 ♪あの娘可愛いや カンカン娘 赤いブラウス サンダルはいて
2番 ♪ままよ銀座は 私のジャングル 虎や狼 恐くはないのよ
3番 ♪家(うち)がなくても お金がなくても 男なんかに だまされまいぞえ

 疑義の理由はこうである。

 1番から3番までの、派手な身なりで、家がなく、男の欲望(虎や狼)の的にされ……という歌詞から連想されるヒロインの「カンカン娘」は、戦前なら「尻軽軽佻」と呼ばれかねず、当時、銀座・有楽町界隈に出没した「パンパン」と呼ばれた主として在日米軍将兵を相手にした街娼たちとも外観的にどこかで重なる。

 敗戦と共に銀座の要である4丁目角の服部時計店(現在の和光)はGHQにPX(米軍専用売店)として接収され、そこにはGIたちが煙草をくゆらせながら片腕で日本女性を抱いてたむろし、興がのると銀ブラを楽しむ。日本の中心を自負する銀座にとっては屈辱の風景が出現する。

 そもそも歌と映画のヒロインに冠せられている謎めいた言葉「カンカン」とは、山本嘉次郎監督の造語であり、前述の「パンパン」に対して「カンカンに怒っている」という意味が込められているといわれている。

 だとしたら、1番から3番で描かれる「カンカン娘」のふるまいは、山本監督の企図を裏切るものであり、識者たちがこの歌に仮託する「自立した新しい女性像」とも矛盾する。

銀座カンカン娘(DVD)
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〝付けた詩〟が女性たちを変えた

 では、この歌の何が戦後の女性たちのビヘイビアを「陰」から「陽」へと変えたのか?

 その答えは、〝付けた詩〟とされた4番の中の「牛を素材にした歌詞」にある(ドーナツ盤主流の時代は、収録容量の制約から歌謡曲の歌詞は3番までと相場が決まっていて、4番目があるのは珍しかった)。そう言われても読者にはピンとこないかもしれないので、以下に〝付けた詩〟の歌詞を掲げる。

♪カルピス飲んで カンカン娘 一つグラスにストローが二本/顔を見合わせ チュウチュウ チュウチュウ

 そう、戦後の女性たちのビヘイビアを「陰」から「陽」へと変えたものとは、牛乳由来の国民的乳酸飲料の「カルピス」である。〝付けた詩〟の4番で、乳酸飲料を飲みながら愛を語らう光景が描かれることで、3番まででは誤解を招きかねなかった戦後日本の新しい女性像をすっきりと浮かび上がらせたのである。

 思えば、敗戦直後の1946(昭和21)年にリリースされた「東京の花売娘」(作詞:佐々詩生、作曲:上原げんと、歌:岡晴夫)では、往時の女性の生き方が銀座の花売り娘にシンボリックに仮託されてこう歌われた。

♪粋なジャンバーの アメリカ兵の 影を追うよな 甘い風 ああ 東京の花売娘

 女性たちは酔客やアメリカ兵に花を売って健気に耐えるだけだったが、それから3年後の「銀座カンカン娘」では、同じグラスの乳酸飲料を恋人と吸い合う自立した女性へとたくましく進化成長を遂げるのである。服部良一の明るく軽快なジャズ調のメロディに乗った高峰秀子の飛びはねるような歌声は、それにみごとにシンクロしていた。

ジンギスカンの末裔たちの伝統飲料を商品化

 「銀座カンカン娘」を女性たちの自立のシンボルソングにしたものが、牛乳由来の乳酸飲料カルピスに加えてもうひとつあった。それは、同じく〝付けた詩〟の4番の中の次のくだりである。

♪初恋の味 忘れちゃいやよ

 「初恋の味」はカルピスの発売当初からのキャッチコピーだったが、カルピスを国民飲料にした功労者はじつは「初恋の味」といっても過言ではないからである。少々長くなるがそれをめぐる数奇なドラマを記す。

 「カルピス」の産みの親は三島海雲(1878~1974)。浄土真宗の僧侶養成学校である西本願寺文学寮(龍谷大学の前身)を卒業。英語教師を務めた後、数えで24歳の時、単身北京へと渡った。貿易会社を興し、大陸各地を巡って日本の雑貨の販売を手はじめに軍馬調達や緬羊の改良事業に挑戦するが、辛亥革命で後ろ盾の清が倒されて頓挫し、無一文となって帰国。再起をかけたのは、モンゴルの逆境で何度も命を救われたジンギスカンの末裔たちの伝統飲料の商品化だった。

 開発に取り組むこと数年、試行錯誤を重ねて完成をみたのは脱脂乳に砂糖を加えて発酵させてカルシウムを加えた乳酸飲料の一種で、当時世界的研究として注目されていた鈴木梅太郎博士のカルシウム研究に着想を得たものだった。

 カルピスの名は、当時「仏教界の至宝」と言われた学僧・渡辺海旭につけてもらった。サンスクリットの仏典で乳・酪・生酥・熟酥の四味のうち「熟成の味」を意味する熟酥(サルピス)に「カルシウム」をかけあわせた造語である。

 さらに海旭から、「万人が口ずさみやすいかどうか、発声学の第一人者に判定してもらったらどうか」と山田耕筰(1885~1965)を紹介された。東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)を首席で卒業した気鋭で、後に「赤とんぼ」をはじめ数多くの唱歌を作曲、音楽界の第一人者となる山田は、「音声学的にしまりがあってとてもよい」と太鼓判を押してくれた。

 当時到来した健康ブームをあてこんでいた三島にとってはうってつけのネーミングであった。

「初恋の味」は「自由の味」

 「熟成の味」にさらに“もう一味”が加えられた。

 三島の西本願寺文学寮時代の後輩で作家の驪城卓爾(こまき・たくじ)から、カルピスは甘酸っぱいから「初恋の味」をキャッチフレーズにしたらどうかとの提案があった。一般向けの健康飲料を目論んでいた三島は「子供も飲む商品に『初恋』はふさわしくない」「初恋とは何か聞かれたらどう答えればよいのか」と反対。これに対して驪城は「子供に聞かれたら『初恋の味=カルピスの味』と答えればよい」と説得。三島は折れて1919(大正8)年7月7日に満を持して発売したところ大ブレイク。

 あてこんだ健康ブームが「勝因」ではなかった。ヒット商品の常だが、時代の先端をいくトレンドセッターの心をつかんだからである。

 大正期はまだ恋愛を公に語ることがはばかられる時代。大阪では警察から「色恋沙汰の表現は控えるべき」としてポスター自粛を求められた例もあったという。折りしも大正デモクラシーの時代が到来、「初恋の味」が公序へのチャレンジだと自由を謳歌するモボ・モガたちの心に火をつけ、話題を呼んで売れに売れ、あれよあれよという間に「国民的飲料」になったのである。

 しかし、それははかない命だった。

 にわかに軍靴と軍歌の音が高まり、「健康ブーム」も「初恋の味」も聖戦遂行のために封殺される

 「贅沢は敵だ!」のスローガンのもと、嗜好品は禁制となり、カルピスも軍への納入でしのぐ開店休業状態を強いられた。

 その苦境を何とか乗り越えて戦後を迎えたが、資材不足で生産再開もままならない。国民も戦後の食うや食わずで乳酸飲料どころではない。命運もここまでかと思われたとき、カルピスを救ったのは、巷にあふれでた「カンカン娘」の歌声だった。

 カルピスは奇跡の復活をとげ、再び国民的飲料の地位を取り戻す。

 ふたたびカルピスを口にできた国民の琴線をもっともふるわせたのは、おそらく「♪初恋の味 忘れちゃいやよ」のくだりではなかったろうか。そして、それを聞くたびに繰り返しこう感じたはずである。

 「初恋の味」とは「自由の味」であり、あっけなく失われてしまう。だからこそ、「初恋の味」が味わえなくなる事態が再び起きないよう注視しなければならない、と。

 また作詞家の佐伯孝夫が、カルピスはもちろん、関係者の誰からも頼まれもしないのに「♪初恋の味 忘れちゃいやよ」と付けたしたのは、戦中に「ラバウル海軍航空隊」(作曲:古関裕而、1944年)を作詞、多くの若者たちに「初恋の味」を知らないまま死地に赴かせたことへの自戒からかもしれなかった。

 かくして戦後日本の女性たちは「カンカン娘」の歌にはげまされ、戦争で封印された「初恋の味」をぞんぶんに享受しながら、自立をとげていくのである。

カルピスは牛のおしっこ?

 カルピスをめぐる数奇な物語はまだまだ終わらない。さらなる続きがある。そして、そこでもまた「牛」が大いに関係している。

 戦後奇跡の復活を遂げてから三十余年がすぎバブル経済へと向かう1982(昭和57)年、日本の国民飲料が海外へとはばたくときがやってきた。そのときカルピスに思わぬ難題がふりかかる。欧文の商品ロゴ名「CALPIS」の改名を迫られたのである。

 理由は英語圏では「cow piss」(牛のおしっこ)に聞こえるためであった。口にするものが排泄物とあっては食品企業の存亡にかかわる。名づけ親である仏教界の至宝・渡辺海旭も音楽界の大御所の山田耕筰も、生きていたら理由が理由だけに、大いに面目をつぶしたことだろう。そこで検討を重ねた結果、北米や一部アジアでは、「CALPICO」と改名。旧来のブランドイメージを一定程度残しながらアレンジして軟着陸に成功している。

 なお、海外展開にあたってカルチャーギャップにより「改名」を余儀なくされた商品はカルピスのほかにもある。たとえばスナック菓子の「ポッキー」(POCKY)は英語のPOX(あばた)を連想させることから、ヨーロッパでは「MIKADO」の商品名で販売されている。食品以外では、三菱自動車の「Pajero(パジェロ)」 はスペイン語圏では「自慰をする人」を意味することからMonteroに改名されている。

GHQに忖度して消滅を招いた可能性も

 しかし、これをもってカルピスの数奇な物語は「めでたしめでたし」ではない。改めて振り返ると、「改名」ではすまずに「消滅」させられていたかもしれないからだ。その「元凶」は、敗戦後7年間にわたって日本に君臨したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)への忖度にあった。

 GHQには教育・文化・思想を統制するために検閲局が設置され、新聞・ラジオなどの報道機関や出版をはじめ「歌舞音曲」も「発禁」の憂き目にあっている。判定の基準は「戦前・戦中に「忠君愛国」の軍国主義イデオロギーを鼓吹する役割を果たしたもの」に加えて「GHQへの批判」とされたが、「命令」もされないのに忖度をして「自主規制」するケースも多々あった。

 たとえば「東京音頭」は、以下の戦前の歌詞をレコード会社が封印することで「延命」がはかられた。

♪ハァ東京よいとこ チョイト日本照らす ヨイヨイ 君が御稜威(みいつ)は 君が御稜威(みいつ)は 天照らす
♪ハァ君と民との チョイト千歳の契り ヨイヨイ 結ぶ都の 結ぶ都の 二重橋
♪ハァ花になるなら チョイト九段の桜 ヨイヨイ 大和心の 大和心の 色に咲く

 「銀座カンカン娘」にも、カルピスが「cow piss」(牛のおしっこ)と聞こえることから同様の忖度が起きた可能性もなしとはしない。

 じつは筆者には強烈な「cow piss」体験がある。大学は農学部だったので農場実習があり、両手を使っての昔ながらの搾乳をさせられた。巨大なホルスタインの腹の下に桶をもってもぐりこんでそこへ乳房をもみしだくのだが、なれたころに牛も緊張が解けたのだろうかいきなりpissをした。それは「おしっこ」などという可愛らしいものではない。さながら集中豪雨か滝であった。私は桶にpissが入らないよう背中で跳ね返りを防御しながら乳を搾りつづけたのだった。

 もしGHQの検閲担当が筆者と同じ「cow piss」体験をしていたら、「Oh no ,cow piss!」といって眉根を寄せて手を大仰に振ったことだろう。そしてそれを知ったレコード会社の担当者は、「カンカン娘」の由来が米兵相手の「パンパン」に「カンカン」に怒っているという巷間の噂も忖度の要素に加えて発売を自主規制していたかもしれない。

 しかし幸いにもそうはならなかった。

 思えば、カルピスほど僥倖にめぐまれた奇跡の国民的飲料はなかった。

 もし創業者の三島海雲がキャッチコピーの「初恋の味」を拒絶していたら、あれこれある健康飲料の一つで終わっていただろう。もし戦後、作詞家の佐伯孝夫が「初恋の味」を付けたしていなければ、そしてもしレコード会社がGHQに忖度していたら……。

 私たちの社会も歴史もまた、カルピスと「銀座カンカン娘」をめぐる物語と同じく、かくも危うい僥倖の連鎖のなかでもろくも成り立っている、だからこそ愛おしく、一度手にしたらその僥倖をおいそれと手放してはいけないことをゆめゆめ忘れてはならない。


著者:前田 和男(ノンフィクション作家)

1947年東京生まれ。日本読書新聞編集部勤務を経て、ノンフィクション作家、『のんびる』(パルシステム生協連合会)編集長。著書に『冤罪を晴らす 食肉界の異端児の激闘20 年』(ビジネス社)、『昭和街場のはやり歌』『続昭和街場のはやり唄』(ともに彩流社)。

*本連載は、季刊地域WEBにて毎月掲載されます。本誌ではその内容を一部要約してお届けします。

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