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基本法改正にもの申す連載

【基本法改正にもの申す 第1回】基本法見直し答申の矛盾とその解消案

4月から国会審議が本格化すると言われている「食料・農業・農村基本法」の改正。それに合わせて、これまで『季刊地域』に掲載されてきた識者の意見を公開する連載です。
第1回は最新号の『季刊地域vol.56(2024年冬号)』から――。

作山巧(明治大学教授)

食料・農業・農村政策審議会は2023年9月、食料・農業・農村基本法の検証・見直しに関する答申を示した。今後は、基本法の改正案が23年度中に国会に提出されるほか、関連する法令の制定や施策の見直しが行なわれる。
本稿では、今回の答申の矛盾を指摘し、それを解消する対案を示したうえで、望ましい政策の実現を阻む要因を明らかにする。

二つの矛盾

矛盾 1  農業生産基盤の強化策がない

 筆者は、2013年に現在の勤務校に転出するまで農水省に25年間勤務し、現行基本法の策定にも従事した。その際は、農業の多面的機能の基本法への位置づけや中山間地域等に対する直接支払いの導入を担当した。
 こうした実務経験を踏まえて今回の答申を読むと、二つの矛盾がある。
 第一に、食料安全保障が目玉であるにもかかわらず、農業生産基盤の強化策が欠けている。ウクライナ戦争等を踏まえれば、輸入や生産資材の途絶に備えて、農業者、農地、生産資材といった国内の生産基盤の確保が求められる。しかし、答申では、消費者対策としての食料安全保障の定義の拡大や不測時に対応する新法の制定等にとどまり、肝心の生産基盤の強化策はない。農業分野では、相変わらず「専ら農業を営む者」による「効率的かつ安定的な農業経営」に固執し、農業者や農地の減少を止められなかった反省もない。
 日本の農業生産基盤の危機的な現状は、図1からも明らかである。食料自給率(カロリーベース)は、基礎的な栄養価であるカロリーに着目して消費に対する国内生産の割合を示す指標であり、食料自給力指標(イモ類中心の作付け)は、農林水産業の潜在生産能力をフル活用した食料の供給可能熱量である。問題は両者の推移が乖離していることであり、1990年代後半以降、食料自給率はほぼ横ばいなのに対して、食料自給力指標は一貫して低下し、近年はそのペースが加速している。
 そのからくりは、次のようなものである。
 まず、食料自給率は、分子の国内生産が農業の衰退で低下しているが、分母の国内消費も高齢化で低下しているため、ほぼ横ばいである。他方で食料自給力指標は、農業者や農地の減少、イモ類の単収減少で低下し、肥料等の生産資材はある前提で、農地や労働力がこのままの趨勢で推移した30年度の供給可能熱量は、エネルギー必要量すら下回ると見込まれている。つまり、輸入が途絶すれば日本人全員が生存できないほど生産基盤が衰退しているにもかかわらず、食料自給率には反映されず、答申にも言及がない。

矛盾 2  価格転嫁は低所得者層に打撃

 第二は、価格転嫁が低所得者層に与える影響である。農業者や農地といった生産基盤の確保には、農業の収益性を高めることが必要で、答申の新機軸が生産コストの価格転嫁による「適正な価格形成」である。図2に示したように、農業の収入(農産物価格指数)は上昇傾向だが、生産コスト(農業生産資材価格指数)が過去2年間で急増した結果、前者を後者で割った農業の収益性(交易条件指数)は、22年に60年ぶりの低水準となった。これは、ウクライナ戦争等で高騰した生産コストが農産物価格に転嫁できず、農業の収益性が急速に悪化していることを示しており、対策が必要なことは論を待たない。
 しかし、価格転嫁は低所得者層の保護と矛盾する。答申では、低所得者層が増加し、経済的理由で十分な食料を入手できない国民の増加を問題視している。他方で、低所得者ほど食料費支出の割合であるエンゲル係数が高いため、生産コストの価格転嫁は低所得者層への打撃が大きい。答申には、こうした矛盾の解消策はない。
 答申にあるような生産コストの把握と共有を通じた価格転嫁は、市場原理による価格形成を基本とする独占禁止法や卸売市場制度を踏まえれば実際には困難である。また、農水省が喧伝するフランスのエガリム法の導入も、その複雑さや両国間の制度の違いを考えると現実的ではない。

収益性の改善は直接支払いで

 こうした答申の矛盾を解消する筆者の対案は次のようなものである。
 第一に、政策目標を食料自給率から食料自給力に変更する。そもそも、「凶作、輸入の途絶といった有事の食料供給の確保」という現行基本法の食料安全保障に合致するのは、食料自給力である。しかし、図1に示したように、生産基盤の衰退で指標は急速に低下しており、輸入が途絶すれば肥料も入手できないことから、真の食料自給力指標はすでにエネルギー必要量を下回っているはずだ。このため、「日本人全員が生存できるエネルギー必要量の維持」を目標とし、それに必要な農業者や農地といった資源の確保を政府が確約するのである。
 第二に、それを実現するために、すべての農地を対象とした「農地維持支払い」(仮称)を導入する。これは、筆者らが農水省時代に創設した中山間地域に対する直接支払いを、平地を含むすべての農地に拡大するものである。作目ごとの単価や米の転作との関係は今後の検討課題だが、例えばすべての農地に10a当たり1万円を支払えば、22年度の所要額は4330億円である。仮に単価を2万円にすれば、必要な予算額は1兆円近くになる。
 第三に、1兆円は消費税収入の0.5%に相当し、その財源として相続税や法人税の引き上げや課税を強化する。多くの政策提言が無責任なのは、政府の支援を求めつつ財源を示さないからである。答申にある低所得者層の増加という格差を解消するには、「持てる者」から「持たざる者」への所得移転が必要で、所得や資産の多い者への課税強化は必然である。特に、前述の税は低所得者が免除なのに対して、高所得者は税率が高くなる累進課税で、その引き上げは格差の是正に寄与する。
 この対案で答申の矛盾は解消される。まず、農業者は収益性が向上し、生産基盤が強化される。また、消費者は食料価格が低下し、特にエンゲル係数の高い低所得者層の助けとなる。例えば、民主党政権による10a当たり1万5000円の米戸別所得補償では、その4割は手取りの上昇で農業者が受益し、6割は市場価格の低下で消費者が受益した(荒幡克己「規制と市場原理の中間的政策」『米産業に未来はあるか』農政調査委員会、21年)。つまり、直接支払いは農業者と消費者の両方にメリットがあり、格差を縮小する効果もある。

直接支払いを阻む勢力

 筆者は、こうした提案を野党の勉強会を含めて説明し、国会審議でも言及されたが、今回の答申では一顧だにされていない。それには、次のような勢力の存在がある。
 その筆頭は財務省である。筆者らが中山間地域等直接支払いを要求した際も、財務官僚の反応は「個人補助には絶対反対」だった。実際には、生活保護を含めて個人に対する助成金は多いが、少なくとも農林水産分野の補助金の主な対象は農協等の団体である。財務省は、個人補助を認めると際限ないバラマキになり、財政支出に歯止めがかからないことを懸念している。岸田政権は財務省主導であり、新旧の内閣官房副長官や首相秘書官を財務官僚が席巻している中で、新たな財政負担が認められるはずもない。
 また、本格的な直接支払いには、農協グループも及び腰である。前述のように、直接支払いで生産者価格は上がるが市場価格は下がるため、手数料がそれに連動する農協の収入は減ってしまう。例えば、農産物価格を維持するには、減反で生産量を絞って市場価格を上げる方法と、生産者が自由に生産して価格が低下すれば直接支払いで補填する方法がある。海外では後者が一般的だが、日本の米では、財政支出の拡大を嫌う財務省と手数料収入の減少を嫌う農協グループの利害が一致し、一貫して前者が採用されてきた。

農政議論に関心と行動を

 筆者が提案した直接支払いは、本来は、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や日EU経済連携協定が相次いで発効した2018年度には導入すべきものだった。重要品目を含む広範な農産物の関税撤廃を受けて、農業者への直接支払いによる所得補償には経済界すら賛成で、これらの協定で受益する自動車産業のような輸出産業に負担を求めることもあり得た。しかし、当時の安倍政権は、農協法からの全中廃止を含む農協改革で農協グループの反対を封じ込め、その後は全中を中心とする農協グループも自公政権に従順になった。
 全中廃止に懲りた農協グループは、自民党農林族との蜜月関係を保ち、ウクライナ危機による食料安全保障への関心拡大も追い風に、価格転嫁の実現を求めている。しかし、首相官邸は今回の見直しを傍観し、農水省に丸投げしたことから、新たな財政負担を伴う政策は絶望的で、生産現場の関心が高い価格転嫁すら「検討使」で終わるだろう。
 生産基盤の衰退や生産資材価格の高騰で農業は前例のない危機にあり、農業者はもっと怒るべきである。議員への要請やデモも含めて、一人一人が行動を起こす時ではないか。

もの申す」のコーナーには以下の記事も掲載されています。ぜひ本誌(紙・電子書籍版)でご覧ください。

  • ・大経済被害をもたらすインボイス制度
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池上甲一、斎藤博嗣 編著
地球温暖化がこのまま進んでいけば、異常気象、海面上昇、生態系、健康、食料、水資源などに、多大な影響を与えるといわれている。こうした環境問題は飢餓や貧困、格差や不平等といった社会的な問題にむすびつくことで、人々の生存を深刻に脅かす。「気候正義」という言葉に象徴されるように、「地球が病んでいる」という現状認識には、環境と社会が相互にからみあわせて、グローバリゼーションの功罪をとらえていく視点が重要である。紛争と難民、平和と農業といった、いま注目される問題も含めて、考える手掛かりを多角的に提供する。
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