このコーナーは、「ゆるがぬ暮らし」「ゆるがぬ地域」づくりに取り組む、全国各地の耳寄りな情報です。

「石積みガール」が
地元の石積みファンを増やす

江崎嵩弘


第1回はブドウ畑の石積みを修復した

山梨から
 南アルプス市中野地区は、富士山を望む「中野の棚田」や段々畑が広がる中山間地です。ここで農家民宿を営む上田睦美さんは「南アルプス石積みガール」として活動しています。2年ほど前に結成した、会社員や公務員など4人の集まりです。
 高齢化や後継者不足で石を積める人がむらにいなくなり、段々畑の崩れた箇所をどう修復するか困っていた上田さん。そんな時、隣町で「石積み学校」が開催されることを知って参加しました。
 石積み学校とは、石積みの技術を継承していく仕組みとして真田純子さん(東京工業大学准教授)が考案。参加者は5000円の授業料を払い、石積み学校のスタッフや地元の造園・土木などの職人から技術を教わりながら、開催場所の石積みを修復するというものです。授業料は講師の謝礼や必要経費に充てられます。
 上田さんはそこで知り合った仲間と、中野でも石積み学校を開催するようになりました。その様子は本誌2019年冬36号p128でも紹介されています。
 最近新しく始めたのは、親子や子供を対象にした石積み教室です。「小さい頃に石積みを経験すれば、将来石が崩れた時にコンクリートやモルタルで固めなくても直せることを思い出すはず」と上田さん。11月に第1回を開催し、小学生を中心とした子供10人、大人10人ほどが参加しました。

コケ取って守る
築320年の茅葺き屋根

佐藤優紀


兼丸さんが住む家

広島から
 世羅町の兼丸一美さん(83歳)は茅葺き屋根の家に住んでいる。町内に三川ダムが建設される際、20軒の家がダムに沈むことになったが、そのうちの1軒を1954年に移築した。もともとは、今から320年も前に建てられた家だそうだ。
 そんな歴史ある家の茅葺きを維持するのはなかなか大変。屋根を葺く「屋根屋」は少なくなって遠方の業者に頼まないといけないし、お金もかかる。それを兼丸さんは自分でちょこちょこ手を入れることで長持ちさせている。
 茅葺き屋根は、日当たりが悪いところから傷む。「コケが屋根地(カヤ)を食べてしまうんだ」と兼丸さん。そのまま冬を迎えると、雨や雪がコケのある箇所に溜まり、その湿気で隣接するカヤもやられる。傷みが広がった茅葺き屋根は自重で沈み、薄くなり、雨漏りが起こる。
 そうなる前に、兼丸さんは屋根に上って素手でコケを取る。薄くなったところには、長さ50cmにそろえたカヤを、リレーで使うバトンの太さに束ねて差し込む。カヤは毎年近場で刈ってストックしている。「同じ年(89年)に葺いた知り合いの屋根は、コケで緑になっちゃって今度葺き替えるって言ってたけど、うちはあと10年はもつ」とのこと。
 この茅葺き屋根を見に全国から多くの人が訪れる。

耕作放棄地で
ゾウのエサをつくる

青田浩明


サトウキビを食べるゾウ

大分から
 別府市でも使い切れない農地が増えている。農林水産課の後藤雅孝さんと話をしていると、別府ではゾウのエサ用にサトウキビを休耕田に作付けたと教えてくれた。「エレファント・フィード・プロジェクト」というそうだ。
 県内にあるサファリパークではアジアゾウ5頭を飼育する。体調管理やストレス解消にサトウキビが効果的だそうだが、カビなどが発生しないよう冷蔵運送で沖縄から仕入れるため、高価でなかなか給餌できなかった。
 その話を聞いた九州農政局大分拠点の職員が、農業青年連絡協議会(4Hクラブ)とつなげ、2人の農家がサトウキビ栽培に手を挙げた。内竈地区の恒松敬章さんは「棚田を荒らさないよう、手間がかからない作物をちょうど探していたところだった」とのこと。
 2020年度に4.6aの試験栽培から始め、翌年は36aに拡大。サファリパークがつくっている草食動物由来の堆肥をすき込み、3月末に植え付けた。収穫は10月中旬からで茎丈は2m超え。寒さにあたると傷むので年内に刈り取る。茎だけでなく葉もエサになる。全量をサファリパークが買い取り、10a約4tの収穫量の買取価格が32万円ほどだ。課題はウネ間の草刈り。「中耕するなどして省力化を図りたい」と恒松さん。
 ゾウが1日に食べる草の量は100kg前後もあるので「まだまだ供給量が足りない」と言っていた。

廃校を職業訓練学校にした

吉村花林


受講生とスタッフ

鹿児島から
 2012年3月に閉校した市立財部北中学校を職業訓練施設として活用したのが、曽於市にある「たからべ森の学校」だ。13年5月に開講した。
 農業が盛んな大隅半島は農業関係の求人が多いことから、「農業人材育成科」「調理加工科」を設置。厚労省の事業を県から受託して、県内のウェブ制作会社㈲サイバーウェーブが運営する。農業科は定員20人で半年間のカリキュラム。調理科は10人で4カ月だ。毎回定員を超える応募がある。
 通うのは失業中の人や農業法人で働きたい人、就農希望者、自分がつくった野菜でレストランを経営したい人などで、年齢は20〜60代と様々。関西、関東圏から来る人もいるが、毎回7割ほどは県内からだ。職業訓練施設なので授業料はかからない。
 校長の谷口誠一さんは「つくるだけじゃなく売る工夫も身に着けてほしい」と話す。受講生がつくったモミガラくん炭は市民祭やマルシェで売る。また、学校は観光列車の停車駅の近くにあるので、観光客向けに箱詰め野菜の見本をつくり、客が自宅に帰る1週間後を目安に発送するなど、農作業だけでなくニーズをふまえた販売法について学ぶ授業もある。
 また、農業と同じくらいパソコン実習にも力を入れていて、チラシやPOPのつくり方、ホームページやブログの開設方法なども学ぶ。

地元で生まれた
幻の陸稲もち品種が復活

江崎嵩弘


収穫の様子。白楊高校の生徒も手伝ってくれた

栃木から
 宇都宮市江曽島町の坂本喜市さん(79歳)は、宅地化が進んだ町内の数少ない農家です。
 もともと江曽島は、水に恵まれない土地柄で、昔から農家は苦労してきたそうです。そんな中で明治時代に篠崎重五郎という農民が「エソジマモチ」という陸稲を育種しました。畑地で栽培でき、病気に強く倒伏しにくいことから県内外で広く栽培され、一時は県の奨励品種にもなりました。
 昭和初期までは広く栽培されていましたが、用水の整備や陸田化が進んだことで戦後はつくる人がいなくなり、半世紀前には生産が途絶えていたとのこと。そんな地元発祥の品種を坂本さんは復活させたいと思いましたが、種モミが見つからずにいました。
 転機が訪れたのは2016年。エソジマモチを研究していた県立宇都宮白楊高校の橋本智先生(54歳)と知り合ったことで、苗を分けてもらえることになりました。橋本先生は茨城県にあるジーンバンクで種モミ50粒を入手したそうです。
 そこから栽培がスタート。「エソジマモチが再び江曽島に帰ってきた」と坂本さんは感慨深げでした。6年目のいまは、地元米菓店で「エソジマおかき」に加工し、スーパーなどに卸しています。
 農業に尽力した先人や、その想いを次世代に引き継ごうと頑張る地元の方々に胸が熱くなりました。

手づくりの炭と木酢液が大活躍!

渡邊紗恵子


皿に木酢液を注ぎ、中に断面の美しい
炭を置くと部屋の飾りにもなる

福島から
 10年ほど前、定年を機に、父親がやっていた炭焼きを始めたのは伊達市の幕田忠一さん。子供の頃から山仕事が好きで、会社勤めの頃から林業と炭焼きがしたかったそうです。
 引き継いだ山10haは広葉樹が6割で、残りは針葉樹。炭にするのは広葉樹で、1回に軽トラ4台分を使います。4、5日焼いて窯を密閉し、1週間以上置いたら黒炭の完成。1尺に切りそろえた「良」が15俵、それに満たない「雑」が8俵、3cm以下が4俵ほどでき、年10回ほど焼きます。
 炭は調理や暖房に利用します。幕田家には薪ボイラーもあるので、燃料は炭と薪で、ガスはめったに使いません。3cm以下の炭は土壌改良材として田畑にまきます。「ナラ枯れが増えててね。木がダメになる前に炭にしたい」とせっせと炭を焼いて備蓄しています。
 また、木酢液もフル活用。健康維持のためコップ1杯の水に木酢液を1、2滴垂らして夫婦で飲むのが日課だったり、入浴剤としておちょこ1杯分を入れるとさっぱりした湯になって加齢臭も抑えられる。展着剤として農薬にも混用しています。
 なかでもおすすめなのが、木酢液を注いだ皿に入れた炭。玄関やトイレ、居間など、なんと家の中に10個以上置いているとのこと。「蚊やカメムシが来ないし、ニオイ消しにもいい」。近所や親戚にもプレゼントして喜ばれています。

移住者、非農家を
山や農業とつなげたい

原田順子


ふれあい菜園

広島から
 三次市甲奴町の杉原達也さんに会ってきました。杉原さんは、2020年8月に結成した「こうぬ森林資源活用研究会」の事務局長です。荒れた雑木林を整備するための住民有志の会で、メンバーは勤めを定年退職した人を中心に、農家や寺の住職など13人。週末の午前中に活動しています。
「整備だけでなく伐採木をエネルギー活用するのがねらい」と杉原さん。会では切り出したクヌギ、コナラ、クリなどを長さ36㎝の薪にし、直径20㎝に束ねて近くのキャンプ場へ販売。1束300円で月100束ほど卸し、売り上げは会の運営費に充てています。もちろん、メンバーも薪ストーブ用に持ち帰って使います。
 また、杉原さんは「本郷・西野地区振興協議会」の地域振興部長でもあります。こちらは、20年に「本西ふれあい菜園」を始めたとのこと。休耕田12aを協議会で借りて一定区画に分け、それを希望者に貸し出し、1年間野菜づくりを体験してもらう取り組みです。
 今のところ体験料は設けておらず、道具や肥料は協議会が準備。初心者でもうまく栽培できるよう、農業高校で先生をしていた住民に講師を頼んでいます。移住者や非農家を中心に10組の利用があります。
 杉原さんは「移住者や非農家が山や農業に関わる入口をつくって、IUターン者がもっと増えるといい」と言っていました。

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